食事の写真を撮るのってどうなんだろう。
失礼なんじゃないか。そうおもう。
(神楽坂で食べた親子丼)
料理は基本的に出来たてが提供される。
料理が「今食べてほしい」という状態になったら提供される。
それを無碍(むげ)にするように、写真を撮って加工し、SNSにあげるまで箸をつけないとは、料理にも、料理人に対しても失礼なんじゃないか。
(グリル満点星のプリン)
だけど、写真を撮りたい、という気持ちもある。
SNSにあげることがすべてではなく、時々見返して、ああ美味しかったなぁ……とニヤニヤしたい。
香りと味は記憶に遺すしかないけど、盛り付けは写真に遺せる。
美しい盛り付けの写真を遺すことで同時に、食べる前の期待感も一緒に封入できる。
私は、料理の写真を撮るのは失礼でもあるし、失礼でもないとおもっている。どっちつかずなのだ。
即座に食べないで、冷めるのをさせるがままにしているのは料理人に対しても料理に対しても失礼だ。
また、写真を撮って満足して、あまり食べないで残したり、写真を撮ったきり楽しそうに食事をしないのは失礼極まる。そんな人あまりいないだろうけど。
(ピザだ。)
目的は写真を撮ってSNSに上げることじゃない。食べることだ。
食べて、楽しむことなのだ。
SNSは付随する二次的な楽しみでしかない。
写真を撮ってあとから見返して涎を垂らすことは副次的な恩恵なのだ。
(みはしのあんみつ)
だけど、美味しい料理の写真を美味しそうに撮ることは、べつに失礼でもないんじゃないか。
私が食事の写真を撮ると、そこには料理への尊敬と愛情が顕れる気がする。
美味しい料理を愛しているし、恋人と共にする食事はいつだって特別な価値を持っている。
(新宿ブルックリン・パーラーのハンバーガーとビール)
「失礼かも」と「敬意の表れ」というふたつの感情がせめぎ合っている私は、写真を10秒以内にカメラに収めることを心掛けている。
そしてシャッター音を極力抑え、フラッシュは絶対に焚かない。情緒を崩すことがあってはならない。それはマナーだし敬意だし、プライドだ。
(用賀倶楽部のステーキ)
料理の「美味しい瞬間」は提供されてから15秒以内で、同時に最も「美味しそうな瞬間」も食べるまでの15秒以内なのだ。
撮るなら今しかない。
(ぶらいとんの油麺)
そうして撮った料理の写真は、愛情に溢れ、期待感に震え、敬意と感謝の想いで輝いて見える。
これは失礼ではない、と私はおもう。愛情表現のひとつなのだから。
そして全力で美味しさを味わうのだ。
これは日本で最初にモンブランを作った「モンブラン」というお店のモンブラン。
気高く、誇り高い、まさに霊峰のようである。
食事の写真では敬意を忘れてはならない。
そして料理を味わい感謝をすることはどの食事にも言えるマナーだ。