コーラを飲みながらコーラフロートのことを考えると、ほのかにコーラフロートの風味を感じる気がする。対岸の霧の向こうでバニラアイスが手を振っている影が見える。
白米を食べながらせいろ蕎麦を考えても蕎麦の風味はしてこないが、塩むすびを想像すればその風味がしてくるだろう。
つまり食べたいものの「半分」を得ていればあとは妄想で補えるのだ。
この日発見したことは以上です。
それ以上の感動も情緒も何もありませんでした。
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そのうち定年退職が70歳になると言われている。
60歳まで働くのもどうかと思っていたのに、さらに10年追加なんて、私は耐えられるだろうか。
今年で定年退職だとおもっていたのに急に会社から「もう10年ね」と言われた人たちの心中を想うと、なんと惨いことか。
そんなの、体育のあれと一緒じゃないか。グラウンド10周って言われていたのに10周目のラストで体育教師が「はい!10!9!8!7!」ってカウントし始めて、ギリギリゴールに間に合わず、「はいじゃあもうあと一周!急げ!」って追加されて既に限界なのに心まで折りにくるあのクソみたいな、なんの得にも足しにもならない体育会系の終わってるユーモアと一緒じゃないか。
あと45年……。
殺人・放火・強姦・窃盗・死体遺棄の五つをやっても懲役45年にはなるまい。これだけやれば「死刑」である。
私はあと45年もの間、上述した「コーラフロートっぽくなるライフハック」のようなくだらないことを仕事帰りにひとつ思いついては「よしブログに書こう」とニヤニヤして過ごすのだろうか?
それだけを楽しみに?45年?嘘と言ってくれ。
モチベーションをどこに求めればいいのだろう。
せめてもっと上昇志向で上を目指せればいいのだけど、なんかぜんぜんやる気がないというか、ついついだらけちゃうし、とにかく「モチベーションがない」の一言に尽きる。
転職でもしたい。
じゃあなにに転職したいかと言われると、考え抜いた末、働きたくない、という結論に達する。
もう甘んずるしかない。
ささやかに生きるにしても、なんとなく生きていたいわけではないのだ。
そんなこと言っても我々は生きてるから生きているに過ぎず、生きているうちに生きている目的が生まれているのだから一生懸命もがき続けなければならないことは自明であって考えることは無駄なのだけれど、今はそういう話をしたいんじゃない。
でも解決するには生きるしかない、ので、今日も生きます。明日も生きます。
コーラは美味しいです。