月曜日ってどうして月曜日なのだろう。
月曜日って文字を見るだけで全身が泡立つような気分になる。
なぜならお仕事に行かねばならないから。
毎週3連休がいい。
毎週3連休になったら、4日働けばいいのだ。労働は4日くらいがちょうどいい。偶数で割り切れるし、労働日が少ないことで、むしろ仕事が捗る。そう思いませんか。
日曜の夜は毎週憂鬱で、これは小学校から高校卒業まで通貫してそうであったのと同じことである。もしかして日曜の夜が憂鬱じゃないのは、大学で月曜になにも授業を入れなかった年と、小学校に入学するまでのまだ曜日感覚をまともに持っていなかった幼少時代と、定年退職したあとのわずかな余生だけなのではないかと恐ろしくなる。月曜日は生まれながらにして不幸だ。月曜日さんにも同情したくなる。
そういう意味でも毎週3連休にして月曜日=不幸の等式を不等式にしてやるべきだ。
「いや、私は休みがシフト制なのであまり関係ないのだけど」と言う方、今はちょっと黙っててくれますか。
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日曜の夜、恋人と憂鬱だね、と話していた。
憂鬱の話に救いはなくて、どうすることもできないから、なにか別の話をしよう。美味しいものの話でもいいし、漫画の話でもいいし、音楽の話でもいい。たとえば二人の未来の話なんてうってつけの話題だ。
私たちは、将来的に、同棲して夫婦(めおと)になりたいと思っている。
その未来には、もちろん暗いことや大変なことや、こんな憂鬱が些細なものに見えるほどの苦難が待ち受けているだろう。だけど、思う。その未来は輝かしく、柔らかで、幸せなものであるはずだ。なぜならその未来は、私一人の未来ではなくて二人の未来なのだから。そう思いたい。
はやくその未来になればいいと思う。
さっさと行動すればいいのだけど、タイミングというものがあって今はまだその時ではないから、時が来るのを待つしかない。今は。
「明日は二人の未来のために来るの」
恋人はそう言った。
私には、普段はとぼけているのに時々すごく良いことを言う素敵な恋人がいる。
彼女との未来のためなら憂鬱な月曜日も頑張れる気がした。日曜の夜の どよりと沈んだ暗い空気に風が吹き、血の通うかのような熱が帯びていった。
がんばろ。
がんばろう。そう思った。
このブログを月曜の夜に書いている。
わからなくてやり残した仕事がある。それがしこりのように心に残って奥歯を痛ませる。
だけど今も、未来を想えば明日を頑張れる気がしている。