蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

センシティブな時代に風邪をひく

日ほど前から喉が痛い。

咳は一切出ず、喋るぶんにはまったく問題がない。喉が痛いということを忘れるほどである。

ただ、嚥下ができない。唾液を飲み込むのでも痛くて、食べ物を飲むたびに痛みで顔をしかめてしまう。からい食べ物はかなり痛く、喉の奥から肩まで痛みが広がっていく。

お茶も痛いし、もちろんビールやアルコール類はかなり痛い。

にもかかわらず、私は好んで辛い物を食べ続け、アルコールを摂取しまくった。

「クリスマスまでには終わる。」

そう思っていたのだ。

私は風邪をひいたり、フィジカルで痛みや苦しみがある場合、「病は気から」を信じているので、できるだけ楽天的になるよう心掛けている。

「今はめちゃくちゃつらいけど、一年後、この痛みを思い出せるかというと思い出せないだろうな。大したことないんだ」

「そう、一年後に、一年前に自分が何をしていたかなんて、よっぽどのことが無いと思い出せないさ。こんな風邪、雑魚だよ」

精神論で病気を治そうとする。

 

しかし「クリスマスまでには帰れる」と言われた第一次世界大戦が想定以上に長引き、未曽有の被害を出したように、私の喉風邪もクリスマスになっても終わらなかった。

イブの夜にスパークリングワインを飲んでいたら激痛が走った。

熱いナイフで焼き切られるような痛みだ。チキンは美味しく、ケーキも甘く、ブロッコリーのサラダも美味しくできたのに、食事が楽しくない。

あかん。そうおもった。

 

市販の漢方薬と喉スプレー、龍角散のど飴を買った。

 

しかし、まったくの効果を得られなかった。

これ以上酷くなることもなかったが、良くなる気配もなかった。

このご時世だし、コロナなのではないか、と訝しくなる。

しかし症状としては、嚥下が痛い、というだけだった。熱は毎朝平熱だし、頭痛や吐き気もない。味覚はむしろ増している気もする。最近薄毛になってきた気がする。懸念点と言えばそれくらいだった。

のど飴を中毒患者のように舐め続けたものの、痛みは引かなかった。

「これはあかんかもしれないな」

精神論ではどうにもならなそうなので、土曜の朝、病院へ行ってきた。

 

結果として、「喉仏のあたりが腫れている」ということだった。

初めて行った病院の先生は私の喉を見るや考え込んで、迷いながら薬を処方してくれた。

薬局で処方箋を渡し、以前私が薬のアレルギーで蕁麻疹が出て一週間以上寝込んだことを伝えると、処方箋がすべて書き換えられた。大丈夫なのだろうか?

 

とりあえずそれを飲んでいる。

飲んでから、多少良くなったような気がする。

多生のプラシーボで私の風邪は治ることもある。やはり病は気からだ。

 

感染対策をして人混みを避け遊びに出なくても、風邪にはなるのだから、コロナもちょっと運が悪いとかかるかもしれないな、とおもった。

努力はしても無駄なときは無駄だ。

なんか私は、万が一かかったときに言い訳ができるように感染症対策をしているのかもしれない。