蟻は今日も迷路を作って

真面目な話からそうでない話まで。本当の話から嘘の話まで。蟻迷路(ありめいろ)という人が書いてます。

後悔からの卒業

ォロワーの高校生が、もうすぐ卒業式だと言っていた。

インターネットって性別や年齢や地域に関係なく知り合いになれるから本当にすごくて、25歳男性会社員と女子高生が相互フォローしてコミュニケーション取ってるって、現実じゃあり得ないし、よく考えたらちょっと怖いな、とおもう。

私が中高生のときにTwitterやってたら、あっという間にネカマに騙されて人間不信になって性癖を拗らせまくってたんだろうな。

 

 

今日はそういう話をしたいのではなく、自分が高校生のときの卒業式について思い出したことが無かったので、それについて書きたい。

 

中学の卒業式はよく覚えているのだけど、高校の卒業式のことはほとんど何も覚えていない。

卒業証書は教室で受け取ったのか、式自体はどういう進行だったか、友だちと何を話したか、打ち上げ等はあったのか、まったく覚えていない。

ただひとつ、式場の体育館に大きな花が飾られていて、それがいい匂いだったもので、嗅いだりしたことは覚えている。

 

卒業式は3月1日で、私はその時すでに浪人することが確定しており、周りの友だちやクラスメイトは進路が決まっていて、しかしその状況が自分の不幸や惨めとはその時は思っていなかった。

現実を受け止めきれていなかったのだ。

勉強が嫌だったというのもあるけど、もう1年追加でこの「閉塞感」のなかにいなきゃいけないのか。自分を律して、あらゆる欲望から距離を置き、ストイックに精進せねばならないのか。その絶望に打ちひしがれていた。

国公立大学への進学を決めていた仲間たち(私以外は優秀だった)に「いやぁ、浪人ですよ。はっはっは」と笑ってみたが、誰も笑わず、むしろ私よりも真剣な表情で「え……」と絶句し、すごく変な空気になってしまった。

 

今思い出したが、あのときの静寂に耐えられなくて、私は打ち上げにも参加せず、直帰したのだった。

帰宅して来年に向けて勉強しなきゃいけなかった。

 

 

進路も決まっていないのに高校を卒業したからか、なんだか卒業した実感が無くて、そのまま地続きにダラダラ日々が連なっていき、自分だけ3月に取り残されているような感じがした。

進学した友だちのSNSを覗くと、大学の朋輩とBBQやコンパに勤しみ、また学業面でも研究発表などを通して人々と交流しており、睨みつけていると目の奥がキリキリ痛んだ。

浪人の責任はすべて自分にあって、自分をとことん恨んで追い詰めればいいだけなのでそれだけは楽だった。それだけだ楽だったのは。

 

今思えば、浪人させてくれただけ恵まれてはいたのだが。

 

 

卒業式は、その人がその学校でどう過ごしてきたか、また進路が決まっているかどうかによって質が圧倒的に変わってくる。

学校生活の総括みたいなものだろう。漫然と過ごしてきた人はダラッとふやけたうどんみたいな式になるだろうし、私みたいになんの思い出も残らないものになるだろう。

今から後悔したって遅い。

 

 

なにはともあれ、卒業おめでとうございます。(なげやり)