蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

解体と構築

 まりにも暇なので、大学時代にマンドリン・オーケストラで演奏した曲をクラシックギターのソロバージョンで弾く練習をしている。

 何を言っているのかわけがわからないかもしれないので順を追って説明しよう。

 

 まず、マンドリン・オーケストラという音楽ジャンルがある。

 

youtu.be

 ↑ こういうやつ

 

 私は大学時代に、マンドリン・オーケストラというものをサークルでやっていた。

 ニッチなジャンルだけど、日本人の演奏人口はそれなりに多くて、サークルを置いている大学も少なくないのだ。調べてみると社会人団体もそれなりの数ある。だけど、プロは少ない。ここで言うプロとは、マンドリンだけで食べていける人たちのことを指す。

 そういう音楽をやっていた。

 

 で、マンドリン・オーケストラには伴奏楽器としてギターが使われる。オーケストラで言うハープやピアノみたいな立ち位置で。

 私はギターを弾けるので(他にはマンドリンウクレレを少しと、口琴もできる) マンドリン・オーケストラで演奏した曲をギター1本で弾こうとしているのだ。

 なにもこれは珍しいことではなく、オーケストラ曲をソロギターバージョンで弾く人は動画サイトを漁ればいくらでもいるし、オーケストラ曲のみならず歌謡曲やジャズのソロギター集のCDや譜面はいくらでも売っている。

 あまりにも暇なので(恋人に会えないので)、ギターを構えて、メロディの音を根気強く拾っていき、ベース音と合せてコード(和音)を探し、通しで弾く練習しているのだ。

 

 ギターはシンプルだけど優れた楽器だ。

 一見難しそうだし、まぁ難しいのだけど、弾けてしまえば弾ける楽器なのだ(トートロジー)。

 伴奏もできるし、弾き語りもできるし、メロディを弾くこともできる。うまくやれば伴奏とメロディを同時に弾くこともできる。さまざまな音色を作り出せるし他の楽器との親和性も高い。さすがにピアノよりは汎用性が低いけど、だけど抱えられるほどの大きさの楽器でベースから高音までカバーできるのはすごいことだ。

 クラシック・ギターは音も優しいし、木製なので弾いてると自分の体温が楽器に乗り移って、体の一部みたいになってくる(それで上手く弾けるわけではないが)。抱えているのは愛着という名の楽器なのかもしれない。そんな気がしてくる。

 

 マンドリン・オーケストラは基本的に6パートで構成されており、ギターに編曲する場合は6パートの要素を抽出して必要な分だけ6本の弦に乗せていかねばならない。

 その作業が、大変で気が遠くなるもので、しかも難しくてとてもすらすら弾けたもんじゃないのだけど、楽しい。

 楽曲を頭の中でいちど分解して、その過程のなかで解釈を生み、咀嚼しながら6本の弦に構築し直す。

 好きな曲が、自分のものになっていく感じがするのだ。

 

 演奏は楽しい。

 音楽が自分の身体の一部になり、自分の身体が音楽の一部になっていく。

 ライブで体を弾ませることでもそれはできるかもしれないけど、やっぱり演奏する側と聴く側とでは段違いなものがある。

 

 自分のための純粋な音楽に長い時間触れていられるということ。

 この暇は有意義に使おう。