蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

「他人ンちのベランダをジッと見ている20代男性」の目撃証言

arimeiro.hatenablog.com

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日連続で洗濯物の話を書いたので今日は違うものを書こうと日中考えていたが、いざパソコンを開いてみれば書くことなんてなにも思い浮かばず、ふと鼻にニオイがかかった生乾きのバスタオルに意識が向かい、ああ、今日も洗濯の話をするしかないと覚悟を決めた。

洗濯以外に選択の余地がないらしい。

まぁ、三本連続で書けばなにか人生に光明が見えることだってあるだろう。

 

 

 

洗濯をしようという日に雨が降ったり曇っていると心までグズついてくるが、隣国まで見渡せそうなほど晴れていると嬉しくて、はっきり言って面倒くさい洗濯にもが腕が鳴るというものだ。

洗濯をする日には気持ちよく晴れていなければならない。泳ぐと決めた日にはプールが冷たい水で満たされているべきだし、出航の日には良い風が吹いているべきなのと同じように。

だけど私たちは神ではないから、天気を操るのではなく、洗濯物の量を調整したり、あるいは諦めて曇り空の下に干したり、夜に干したりして妥協する。空は洗濯物を乾かすために晴れるわけではないし、雨は必要だから降るのだ。責めることはできない。

 

我が家でも洗濯量を調整したり、週間天気を見て洗濯日を決めて調整している。だから週間天気が外れるとムカついて、天に向かって唾を吐き、気象予報士を口汚く罵る。

どの家庭もそのように調整したり工夫しているのだろう。外した気象予報士を野良犬扱いするのだろう。

 

向かいの家もおそらくそのような「工夫」をしているのだろうと思われる。

そのお宅は「数日間干しっぱなし」という「工夫」を実践している。

 

うちのベランダから向かいの家のベランダが望める。あまり良くないが、目に入るので仕方がない。洗濯物も丸見えである。夫婦と小さめの子どもがいる平凡な家庭だ(←洗濯物の内容から類推しているので本当に気色が悪い)。

そのお宅は私の記憶する限りでは日曜から洗濯物が干しっぱなしである。

土曜日は見ていなかったので知らないが、少なくとも日曜日に干してあった衣類と今朝目にした衣類はまったく同じで、それは月曜の朝も干してあり、要するに干しっぱなしなのだ。

日曜は雨が降っていたし、月曜日も酷い曇りだった。火曜日は晴れた。

今、これを書いている火曜日の夜、確認したところ、やはり干してある。

 

留守にしていたら家の電気は消えているはずだ。

しかしその家は夜の住宅街に、あたたかい家庭の明かりを灯しているではないか。

 

いったいどういうことなのか理解に苦しむ。

雨に濡れたら汚いのでもう一度洗った方がいい。それを気にしないのなら干しっぱなしでもいいけれど、火曜日は晴天で久しぶりの洗濯日和だったのだからすべて乾いていてしかるべきだ。家に明かりが点いているということは在宅のはず。時間は既に23時を回っている。

なにか、完璧にではないけれど、論理に合わない。おかしいところがある。

 

あるいはなにか ──考えたくもない凶悪な── 事件に巻き込まれていやしないだろうか……と考えて背中が寒くなる。

 

 

一体どういうことなのかこれからも注視していきたいが、「他人ンちのベランダをジッと見ている20代男性」の目撃証言の方が事件性は高まるので、ほどほどにしよう。