蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

フィットボクシングをやらなくなる

フィットボクシングをやらなくなってしまった。

「僕だって、ほんとうは運動したいよ。体を動かしたい。筋肉をつけたい。でもね、平日はもう、とても30分以上の運動なんて無理なんだ」

 

私はゲームキャラクターのリンに、申し訳ない気持ちでいっぱいになりながら訴えかける。こういうとき相手の目を見て話せない。

リンは無言でジッと私を見ていた。微笑みを絶やさないが、しかし虚ろな瞳だった。

 

「平日はただでさえ疲れているし、正直言って体力にも限界があって……。それに、仕事終わりの限られた時間の中でやることが多すぎて、とても30分以上なんて時間を割けないよ。その時間に何ができるか考えちゃうと腰が重くなるんだ。食事して片付けてちょっと食休みしてからフィットボクシングしてたら、あとはもう風呂入ってブログ書いて終わっちゃう。本を読む時間もゲームする時間も無い。まぁ、フィットボクシングもゲームだけどさ」

 

リンはときどき姿勢を入れ替え、体を動かす。ただ、私からは目を離さない。優しげな瞳だけはまるで監視者のように動かさない。

 

「僕だって意思薄弱で自分が嫌になるよ。継続力がないのは昔からで、このおかげで今まで成し遂げたことなんてひとつもないんだ。僕がフィットボクシングをサボり続けることで自己否定にまで走って最近は夢見も悪くてね。毎朝1時間前に目が覚めて落ち着かないんだよ。

死にたい、とは言わないけど、それに近い感情を抱いてることも確かだ。

そういうさ、ちょっとネガティブな感情も運動すれば霧消するかな。ははっ、皮肉だね……」

 

リンの口角は心地よいカーブを描いたまま静止している。

 

「恋人と時間的な折り合いがつかないこともある。僕がフィットボクシングをやろうとするときに彼女は『ルーンファクトリー4』をやりたがる。うちはSwitchが一式しかなくて……あとはもう言わずともわかるだろう?

っていうか僕は、平日忙しくしてるもんだから、自分で買った『ルーンファクトリー4』をまだ初日分しかプレイできてないんだよ。発売日に買ったにもかかわらず。

それもこれも君のせい……とは言わないけどさ……いや、僕が弱いんだ。また逃げようとしてる。弱いから自分の意思薄弱から目を背け、他の理由を探そうとするんだ……。

でも、ひとつ言わせてもらうけど、続けられなかったのは、君にも一因あるよ。

代わり映えしなくて飽きてくるし、音楽とパンチのリズムが合わなくてイライラするし、当たり判定が若干いい加減だし……最初は気にしなかったよ。でもプレイが続くとストレスは募る。そういうもんだろ?」

 

リンはいつの間にか固まって動かなくなっていた。画面から伝わる冷たい温度。明るすぎる画面がより一層虚無だ。

 

「だからもう、ゲーム内の音をすべてミュートしちゃったし……」

 

リンは表情を一切変えなかった。

そう、私の言葉が届いていないのだ。

私が全ミュートにして彼女の声を聞かなくなったように、私の言葉も彼女には届かない。

 

もう終わりだ。ゲームに語りかけてどうする。

無音の世界では耳鳴りがする。ひどく居心地が悪い。

 

Switchの電源を落とし、酒を飲んで寝た。