蟻は今日も迷路を作って

真面目な話からそうでない話まで。本当の話から嘘の話まで。蟻迷路(ありめいろ)という人が書いてます。

まだ頭がフラフラするんだ

ンフルエンザの予防接種をしなければ我々に未来はないとおもわれた。

しかし近所の医者どもに電話をかけるも「一打ち4000円だ」と言われたり、「もう在庫が無い」などと一蹴され続けたので、心は折れかけていた。

我々に未来はないのだ。

私が思い描いていた希望に満ちた「明日」は永久に失われ、後悔の絶えない過去と悲惨な現在だけが手元に残り、未来はドドメ色に腐っていくのだ。

どうせダメだろうと腐った気持ちで駅前の最も目立つところにある内科に電話をかけた。

駅前の内科なんて人で溢れかえっているに決まっている。そのために駅前にあるのだから。ワクチンが残っているわけはないし、きっと5000円くらい取られるに決まっているのだ。

しかし。

「ありますよ。ワクチン。3500円です」

「えっ」

「いつでもいらしてください」

「いつでも?予約とかは?初診なんですけど……」

「よござんす。いつでも、いらして、ください」

電話口で中年らしき声の女性は、ゆっくりとそう言って、電話を切った。

ありえないとおもっていた病院で、まさかの未来を勝ち得る。

何事も諦めてはいけなかったのだ。"学習性無力感"に苛まれて挑戦を止めたとき、未来は鎖されるのだ。

 

かくして土曜日、我々(私と恋人)は駅前の内科に予防接種へ出かけた。

 

駅前の内科なのだから、土曜日なんて2時間以上待たされることは必至だろうと恐れ、診察開始時間とほとんど同じに来院した。

ぜんぜん人がいなかった。

開始時間より10分ほど遅れたので、こりゃあ待たされることになるぞと戦々恐々だったが、院内はがらんとしていて、受付を済ませてビニールのソファに座る間もなく診察室に呼ばれた。

先生はおもっていたよりもずっと若々しく、お喋りもほどほどに「ちくっとしますよ」なんて教科書通りのことを言って私の左腕に3500円を打ってくださった。

今年のワクチンは例年よりも痛いとうわさは聞いていたが、たしかに痛かった。

私が5歳だったら泣いていただろう。5歳と251か月なので泣かなかったが。それでも泣かなかったのは偉かったとおもう。

 

ものの10分ほどで会計まで済ませて、私と恋人は家へ帰った。

病院を出てから私は頭がフラフラし、眩暈というか、吐き気や熱っぽさはないのだけど視界が揺れて、全身を倦怠感が襲った。

家に帰り、30分ほど眠ったが回復しなかった。

頭がフラフラしていたけどトイレを掃除し、風呂をピカピカに磨いた。それでも倦怠感は払拭されなかった。

恋人がチャーハンを作ってくれた。

食べた後、3時間ほど眠ったが、目が覚めてもフラフラして、夢の中を漂っているような怪しい気分になった。

土曜日が2回あり、四肢がそれぞれの意志を発散させて、部屋が自転に逆らおうとしている、そんな気分だった。

 

まだ頭がフラフラしていたけどコインランドリーへ行き、布団を乾燥させ、待っている間に本を読んでいたら、気付けば倦怠感はなくなって、ただ注射を打った後が赤く腫れているだけだった。

コインランドリーは自転にただしく従い、いくつかの洗濯乾燥機が規則正しく回転していた。

 

帰宅して布団カバーを恋人の布団にかけてやった。

そこまでは良かったのだが、あとになって恋人に「布団カバーが裏表逆にかけられていたわ。むしろどうやって逆にかけられたの?」と言われた。

「きっと頭がフラフラしていたから間違えちゃったのね」

「どうやらそうらしい」

治っていたのだが、とりあえずそういうことにしておいた。

まだ頭がフラフラするんだ、と言って酒を飲んで寝た。