蟻は今日も迷路を作って

真面目な話からそうでない話まで。本当の話から嘘の話まで。蟻迷路(ありめいろ)という人が書いてます。

イワシと格闘

ワシが安かったので二尾買う。

その時点でどうするかまだ決めていなかったけど、家には梅干しと大葉があるので、それらを駆使して揚げ物でも作るだろうと未来の私に託した。

 

託された未来の私はその日の夕方、イワシと格闘していた。

イワシを捌くにあたって初めてだったので動画をいくつか確認したのだが、包丁で捌いているものは少なく、多くは「手捌き」をしていた。

ようはイワシの肉体は軟らかくて包丁では扱いにくいので、切れ込みを入れた後指先で骨を抉るように腹開きにするのである。

魚編に弱いと書いて「鰯」なんてくらいだからよっぽど弱いのだろうなと思っていたけど、実際に捌いてみると想定を超えて弱かった。

包丁で抑えただけで肌に切れ込みが入るほど繊細で、力なくぐったりとし、鱗はほとんどが何もしていないのにすべて剥がれていた。これにずっと触れているとこちらまで覇気を抜かれそうだった。

手捌きにする理由もなるほどわかった。たしかに包丁で綺麗に捌くには技術が必要だ。肉が潰れてしまうから指でぐりぐりして骨を剥がした方がやりやすい。イワシのたたきがよく作られるのは、綺麗に捌けなかった場合に誤魔化すためだと思われる。

骨も様子がおかしくて、全体的にくったりとし、骨の体裁はあるもののやる気が一切感じられず、爪で強く挟むとぷっつり両断されるほど軟らかい。

なんだこの魚。

ほんとうにこんなんで過酷な生存競争を勝ち抜いていけるのか。

勝ち抜いてきたから今があるのだけどさ。

こんな調子でもなにかしらの長所で以ってそこは適材適所にうまくやってきたのだろう。配られたカードで戦うしかないのが人生だ。イワシのこういった姿勢には見習う所がある、と私は細かくてタチの悪い毛髪のような骨を異様に軟らかい肉から抜きながら思った。この骨が喉に刺さっても痛くはないだろうが、なにか嫌な存在感は放つだろう。

「いわし」といえば村上春樹の長編小説『羊をめぐる冒険』で主人公の飼っていた情けない猫につけられた名前だ。たしかにあの猫は鼻炎もちだしおならをするしロクでもなかったけど、なにかしらの愛着は持たれていた、そのなんていうか、弱弱しくもたしかな存在感が魚の「鰯」とシンクロしているのかもしれない。こんな考察は意味もないし面白くもない。

 

よく食べてる魚でも、自分で捌いてみると発見があるのが魚調理のおもしろいところだ。

魚は私たち人間とは全く異なる作りをしていて、泳ぐために最適化されたボディの流線形は飛ぶために設計された飛行機のようで美しいといつも思う。

梅干しを練ってペースト状にしたものを切り身に塗り、大葉で包んだらパン粉を付けて熱した油に入れる。

じわーっていう音、揚がる時の音。これを聞くために揚げ物をやっている。

揚がったら、大葉はすこし冷めてからのほうが香りがでるのでしばらく放置しておく。我慢できない場合はすぐに食べても良いとされる。

噛みしめるとザクッとした歯ごたえに、青魚のうま味がじわりと軟らかい身から溢れ、大葉の香りが生臭さを緩和する。魚は揚げるとどうしてこんなに美味しいんだろう。

などと言って食べていたら骨が喉に刺さった。

全然痛くなかったが、これを書いている今も喉に違和感がある。