蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

料理をするということは洗い物をするということだ

理をするということは言い換えれば洗い物をすると言うに等しい。

「料理する人と皿洗いをする人は別なんじゃないの。家事は分担すべきじゃないの」

 ↑ これは素人の考え

あのね、料理中もボウルとか まな板とか包丁とか泡立て器とか菜箸とかボウル(大)とかフライパンとか おろし器とか、使った物を洗って片付けないとどんどんシンクに溜まって大変なことになるでしょうが。

たとえば包丁だったら生肉とか魚を切って洗わずに野菜を切りたくないでしょう。うちは何本も包丁あるわけじゃないから都度、かなり面倒だけど洗わなきゃいけないのっ。

洗って、よしこれでもう切るものは無いなと仕舞ったものの、しばらくしてから追加で切るものが発生すると、それはつまり「また包丁とまな板を洗わなければならない」ことになるので、切る面倒よりもむしろ洗う面倒を見据えてため息を吐くのだ。

料理をするとは洗い物をするということで、いかに洗い物を減らして効率よく立ち回れるかが料理の腕とは別のベクトルに存在する。それも含めて料理上手なので厄介だ。ベースボール・プレイヤーが投・打・捕の三つこなすのと似ている。

 

シンクに洗い物が溜まりまくるのを苦としないのならそれでいいけど、私は料理中のキッチンはできるだけ清潔に、綺麗に保ちたい。

料理動画などを見ているとプロの厨房は使い込まれた道具や古い造りではあるもののキッチンがめちゃくちゃに汚れていることはあり得なくて、特に調理台回りはいつも整頓されてまっさらに保たれていることがわかる。

使い込まれた道具がなぜあるのかというと、大切に丁寧に扱っているからだ。

私も美味しい料理を作りたい。そのためにはプロの真似から入らねば。

プロがキッチンを清潔に扱うのなら、いち生活者の私も、この狭い台所を大切に使わねばならない。それが美味しい料理を作る心得と思おう。

いつも洗い物に気を遣って、効率よく立ち回り、調理台を美しく保とう。

 

だが、ふと心に引っかかる。

洗い物を少なくするための私の工夫をプロはやっていないのである。

たとえば油揚げとか切るときはまな板に出さないでその袋の上に油揚げを出して包丁で切るとか、豆腐の容器を取っておいて小さいボウルにして使って洗わずにそのまま捨てるとか、牛乳パックを開いてまな板代わりに使うとか、そういう工夫はプロには見られない。

ツナ缶とかトマト缶って開けたらとりあえず置いておいて、あとで水入れて計量カップ代わりにして、そうすると残った油とかトマトを残さないでいいし洗い物もしないで済むから最高なんだけど、プロってそういうのしてない。見たことがない。

こういった「効率化」で洗い物の負担を減らし調理台を綺麗に保っているが、なにかがプロとは決定的に異なる。

そう、私の場合は「綺麗に保つ」ことが目的になってしまっているである。

 

でもまぁ、言ってしまえば私は「プロ」じゃない。いち生活者だ。

「工夫」によって作業効率化を進めさらに美味しい料理を作れたならそれはもう「生活のプロ」というわけで、私はなにも炎の料理人になりたいわけじゃないんだからそれでいいと思う。

なにがプロだ。

どうせ助手に全部洗わせてるに決まってる。

こっちは生活してんだぞ。

「リアル」なんだよ(八方を睨みつける)。