さいきんは毎晩寝る前にウィスキーをダブルで一杯飲んでからベッドに潜り込んでいる。
そうするとなんとなく体が温まったような感じがするし、するりと眠りに入っていけて実に気持ちがいいのだ。
ところでウィスキーという飲み物は、いったい、不思議な酒だ。
最初の一口目がとびきりに美味しくなくて、ちょっとした毒を口に含んだかもしれんと思うのだが、飲み下すとじんわりと温かみが胃から広がり、スモーキーな香りが口と鼻いっぱいに余韻として華やかいで、なんだか甘いような気さえしてくる。
ビールなんかは一口目が絶頂するほど美味しいのだけど、ウィスキーはまるで逆だ。飲んでからが美味しい。
こういうお酒は、夜に浸る静かな時間を楽しむためにある。
自分から一人きりになる、夜の時間のためのお酒だ。
もちろんハイボールにしたらとても美味しいのだけど、ウィスキーの愉しさを味わうにはストレートかロックに限る。
私がお酒を飲む理由は、昔は破滅的な気持ちになるためだったけれど、さいきんは普通になんだか楽しい気分だから飲むか、あるいは逃避のために飲むことが増えた。
でも酒を飲んでどこかへ逃げられたためしはない。太陽は必ず昇るし、時間の巨大な渦は途切れることがなく、私を巻き込む。なにもしなくても腹は減り、公共料金はいつも必要だ。
毎晩ウィスキーを飲むのは、愉しみでもあり、逃避でもある。でもそれが毒だったら毎日は続かなくて、やはり好きだから続いているのだろう。
中島らも『今夜、すべてのバーで』を読んだ。
アル中になった主人公が入院し、患者との交流を描く話だ。
最初のうち、人はなぜアル中になってしまうのか?が問答の繰り返しや主人公のエピソードから語られるのだが、次第になぜ人は破滅を望むか?にテーマは変容していく。
主人公は入院中にダメだ、ダメだと思いながら酒を欲するが、周囲の入院する人間と自分は違うと思ったり、身の回りの人間に心配をかけたことなどがきっかけで、酒を欲しながらも自分を律するようになる。
でも、酒はダメだ、と思っているうちはアルコールの魔力から解き放たれていない。
「今から10秒間、キリンのことは考えないでください」と言われてそうするのが無理なように、酒はダメだと自分に言い聞かせるうちは酒から離れられていないのだ。
漫然とした自壊、ぼんやりとした未来への恐怖、過去の取り返しの効かないしょうもないこと、小さな絶望が積み重なって、破滅を望むようになる。
破滅を誰かに止めてほしい。自分でもそう思っているのかよくわからない。
よくわからなくなって、とりあえずでも死にたくはないから、目の前のことをぼんやりさせて鈍麻になるために酒を飲む。寝る前にウィスキーダブルで。
酒の量が増えるようならこの小説を思い出そう。
この小説に言わせれば、毎晩習慣的に飲んでる人は片足突っ込んでるらしい。