友だちと、こんなときなので、日中から電話をする。
最近何をしているか、女は抱いているか、あるいは抱かれているか、誰かに殴られているか、一日何回吐くか、暴力映像観ながらケーキを食べているか、一日何人殺しているか、そんな話をしていた。
「私も『あつ森』やりてぇよ」友だちは言った。
「あつ森」とは任天堂のゲーム「あつまれどうぶつの森」のことで、いま巷で話題になってコロナの次に流行しているコンテンツだ(コロナはコンテンツじゃない)。
外出自粛の暇つぶしにはもってこいのゲームで、島を開拓し、いろいろと集め、動物たちとなんらかの遊戯をし……詳しくないのでうまく説明できないのだが、ゲームをプレイしている人はとても楽しそうだし、お互いの島に遊びに行くこともできるみたいで、家にいながら会うことができるみたいでなんかいいな。と思うものだ。
じゃあ、やればいいじゃん。
ただ、私も友だちもテレビをまず持っていなかったし、ゲームを買うお金もなかったし(金がすべて酒になってしまう)、ゲームを買ったところで「箱から出す」ことを考えたら鬱陶しくて行動できない。酒はいい。キャップを捻れば飲めるのだから。
それに、ゲームは品薄だと聞く。
私たちのような「話題だからやってみようカナ」なんて思っている社会人より、本当に暇を持て余して外出できないストレスにもがき苦しんでいる子どもたちにゲームは与えるべきだ。
そういうわけで、結局うだうだしてゲームを購入せず、昼間から酒を飲みすぎて天井が桃色に歪んでいくのを眺めて愉しんでいるのであった。
これもまた友だちに聞いた話である。
「あつ森できない代わりにさ、さいきん、庭いじりはじめたんだよ」彼女は言った。
「庭いじり?」
「そう。うちってさ、ちょっと庭広いじゃん?」
「そうだね。ちょっとしたキックベースをできるくらいには広いね」
「でしょ。でさ、庭、家が没落してからずっと庭師呼べなくて放置されてて、もう7年くらい放置プレイで、雑草が生えては枯れて、森みたいになってんのね」
「あらら」
「あつ森ってさ、結局あれは、花育てたり果物集めたり、虫捕まえたりするわけでしょ。それさ、うちの庭でもできんじゃん、って気付いて。それで、毎日ちょっとずつ草むしったり、花壇整えたり、たまにバッタ捕まえたりしてんのよ」
「うわよくバッタ触れるね」
「小さいのね」
「うへ」
「ちっちゃい虫たち、かわいいよ。トカゲとか蝶とか芋虫とか。なんか、がんばって葉っぱ食べたり跳んでるの見ると、生きてるんだなぁて」
「おばあちゃんの思考じゃん」
「ガーデニング楽しいかも」
「そりゃよかった」
「けっこう綺麗になりつつあるんよ。写真送る」
LINEで庭のビフォー・アフターが送られてきた。男子高校生の部屋のようにとてつもなく散らかった庭が、たしかにすこしすっきりしているみたいだった。
「へぇ~すごいじゃん」
「ぜんぶ綺麗になる頃には終息してるだろうし、庭でピクニックしようよ。酒は外で飲まなくちゃ。それでこそ『あつ森』に負けない充実でしょ」
「いいね」
だけどさ。
そもそも「どうぶつの森」ってゲームは、ガーデニング(テリトリーの開発)や自然とのふれあいやそういったことが簡単にできない人たちが、ゲーム上で仮想的にそれを楽しむことのできるゲームなのであって、彼女の場合なんだか目的が逆転し、「あつ森」をやりたいがために仕方なく庭を開発しているのだが、どうなんだろう。
まぁ楽しそうならいいか。