蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

なぜ鬼は豆を嫌うか

の倒し方はわかっていない。

やつらは刃では傷つかないし、もちろんニ六式拳銃でも痕ひとつつかない。隣村のじいさんの噂では、雷があの角に落ちたのを見たそうだが、やつはヘラヘラしていたという。

「電気ってのは、いい具合だぁ」

汚い口を耳元まで開いて、げらげら笑っていたという。じつのところ、電気マッサージを考案したのは鬼だという話だ。

どうにかして首を斬り落としても、斬ったところから回復して新しい首がすぐに生えるし、落ちた首から新しい体が生えてくるので、首を落とすのはもっとも愚かな退治方法とされた(もっとも、首を斬れる者はほぼいないし、それで退治ができるわけでもなかった)。

どうにか捕まえた、痩せっぽっちの鬼にさまざまな臨床実験を施した。

心臓に杭を打ち込んでも無駄だった。

血液をカテーテルで抜いても血の池ができるだけだった。

重い岩で潰しても無駄だった。

川底に沈めても死なないし、火炙りにしても死ななかった。

「あったかいものだなぁ」なんて呑気なものだった。

何も食べさせない、飲ませない、眠らせない、横にもさせない、洞窟に閉じ込めて光に当てない。それにはさすがに3年目で堪えたようだが、退屈さに心を少しやられただけらしく、死にはしなかった。

いよいよその鬼は退屈に堪えかねて、鎖の手錠を断ち切り、門番や拷問官や研究員を皆殺しにした。それでも飽き足らず、洞窟の周りにあった家々を廻って、男は睾丸をもぎ取ってから殺し、若い女脾臓を食べ、子どもの脳をすすり、老人は手毬にして殺害した。ひどいものだった。3年間の束縛が、鬼の加虐心を煽っていた。

それでも鬼は遊びみたいなもんにしか思ってない。無邪気さが最も醜悪であった。

げらげら、げらげら、笑い続けた。

 

鬼を倒すすべはない。

まったくの無敵だった。

たとえこの大地が割れようとも、空が落ちてこようとも、海が干あがろうとも、鬼だけはたぶん生きていける。

寿命さえもよくわからない。死もなければ、生もないようなものだった。

鬼自身も弱点などないと思っていた。

だから、家の下敷きになって足を潰された幼い子が最後の抵抗に、その小さな手に握っていた豆を投げぶつけてきたときには、鬼はたいそう驚いたものだ。

下敷きになった子を見て笑っていた最中の出来事だったので、いきなりの興醒めに鬼自身、ひるんだ。

理由はわからないが、ひどく不快な気持ちがした。豆のあたったところはジリジリと痛みを増した。

小僧が豆を持つ限り、こちらへ投げようと腕でフォームを構える限り、ちょっと近づけない感じがする。

落ちた豆を踏みつぶした。単なる豆だった。

豆くらいいくらでも食べたことがある。ぽそぽそしていて、いくら食っても腹の足しにならない。なんの価値もない。

こんなもの怖いものか、と小僧に手を伸ばそうとしたとき、小さな拳の隙間から豆がのぞいて、膝がすくんだ。

やっぱりダメだ。

豆が怖いのではない。

誰かに豆を投げられるというその行為そのものが、なんとなく、そしてとてつもなく、嫌なのだった。

 

それ以来だ、誰も鬼を恐れなくなったのは。