蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

Macbook air を買ったーその3

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Appleの店頭でMacbook airを購入した。

事前にどれを欲しいのか、どの機能があれば過不足なく必要十分であるかを検討していたので、迷うことなく、また店員の口車に乗せられることもなく、目的としてた機種を手に入れることができた。

在庫を確認してもらっている間に、店員さんと会話をした。

「お客様は、これまでにMacをご使用されていたことは?」

「いえ、ないんです。これまでずっとWindows派で」

「なんでまた急にMacにされようと?」

「実は──」

と話し始めるほど大した理由なんてないのだが、ちゃんと説明した。言葉で埋めないと気まずいから。

スマホはずっとiPhoneを使っていて、写真の管理とかメモの管理をしたいときにPCと互換性が欲しかったし、いいタイミングで先代のPCが壊れたのでこれを機にMacにしようと思った、といったようなことを話した。

ほらね、大した話じゃないでしょう。ここにこうして書いてみると何の変哲もなくて、面白みがない。「スタバでMacを開くのに憧れていたから」とでも言っておけばよかった。

店員さんはMacの機能をいくつか教えてくれた。

タッチパッドの操作性、指先でこう触れると画面が大きくなる、画面を変えられる、ウィンドウを転換できる、といったようなことを、当然のことのように見せてくれた。

その操作は知らない人が見たらまるで魔法のようだろう。機械を完璧に操っているのだ。指先だけでこの複雑な機械を操っている様子はけっこうさまになる。

「使いこなしてる感ありますね」

「そうですね。スタバでこうやって使ってない人見ると、ほくそ笑みたくもなりますよ」

今度スタバに行って観察してやろう。

 

帰宅し、早速開けてみる。

電源なんてものは存在せず、開けたらすぐに始まる。すごい。

Windowsとなにもかもが違うようでいて、同じ部分も多数ある。でも根本的な考え方がどこか違うような気もする。考え方というか、哲学というか。

なんていうか、全然違う地域の小学校に転校したときのような気分だし、名前も知らない国に旅行に訪れたときのような感覚でもある。そこには私と同じ人間がいて、同じ感情を持ち、同じもので感動はできるのだけど、物価や言葉や目の色が違う。

操作に戸惑うこともあり、都度ネットで調べながら設定をカスタマイズする。

しかし、基本的な操作は調べなくてもわかるようにできていて、iPhoneをはじめとする他のApple製品と同じく、機械が肉体の延長線上に存在するかのような、感覚的な操作性とフィット感でもって馴染む。

取説をばらばらめくらないと使い方のわからない洗濯機や炊飯器なんかの家電は見習って欲しい。

 

使い始めて2週間くらい経ち、だいぶ慣れてきた。

妻も使いたいといって聞かないので使わせてやるが、Windowsとの違いにイライラしているようだ。勝手にフリーソフトをインストールしようとしたので全力で止めた。コンピュータというものに対して毛の先ほどの興味もないので無頓着なのだ。

私は使いこなしているかというと、正直いって、パソコンを使う機会がそんなにないので、微妙なところではある。もともとそうだったから、まぁいい。ごりごり文章を書いていきたいが、なにぶん仕事が忙しい。

でも使っているときはなんだか気分が上がる。このブログもいい気持ちで書いている。

とりあえず自分のiPhoneと同期させて、なにかと便利にはなった。

タッチパッドの操作を駆使し、スタバでほくそ笑まれることのない程度には使い慣れてきている。

前のパソコンからデータ移行も終わらせて、いよいよ用済みになったけど、なぜかここのところ前のパソコンの調子がよく、これはこれで捨てるのにも忍びない。しばらくは2台持ちでもいいか。