蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

「いちご飴」の憧れ

でいちごを育てたい。

うちには今、まずは庭がないので、庭がある家に将来的に住む必要がある。その庭だってそこまで大きくなくてもいいけど、いちごを育てられるほどの大きさは必要なわけで、それなりの日当たりも条件に入れねばならない。

そして庭には花壇を設け、いちごの種を蒔いて、栽培しなければならない。

栽培だって種を蒔いてハイ、いちごが実りました、というわけにはいかないだろう。虫、天候、土質、水質、気分、さまざまなことを考慮し、ケアしなければならないだろう。

そうしてできたいちごが美味しいとは限らない。

まったく現実とはままならないものである。

 

だからいちごに関しては買ってきた方がいいのだろうけど、私はこれを、栽培したいのである。

食べるといってもそのまま食べるわけじゃない。

融かした飴をかけて、いちご飴にしたいのだ。

 

もっと言ってしまえば、私の家じゃなくていい。友達の家というか、おじさんの家がいい。

おじさんは昼間から酒を飲んでいて、小学生の僕の面倒を見なきゃいけないのに、日がなテレビばかり見ている。テレビだって、ちゃんと見ているわけじゃない。ぼーっとして瞳は動いておらず、今なんの番組を見ているのかと聞いても「よくわからないな・・・」と力無く頭を揺らしているのだ。

「じゃあなんで見てるんだよ」

「・・・」

僕はおじさんと喋るのも時間の無駄だと思って、図書室で借りてきた小説を読むことにする。『ドリトル先生 月へ行く』だ。動物とおしゃべりができるドリトル先生が大きな蛾に乗って月へ行く話。僕はこの続編『ドリトル先生 月から帰る』をすでに読んでいたから、このあとドリトル先生がどうなってしまうか知っている。

おじさんは仕事をしていないのかもしれなかった。

そのせいか、誰に対しても、僕に対してもどこか自信がなさそうで、遠慮したりする。お母さん(おじさんにとってはお姉ちゃん)の言うことは絶対だし、僕が何かをしたそうにすると、文句も言わずにその通りに動いてくれる。

便利だけど、行動の全てに自信がないから、僕はなんだか申し訳なくなってしまう。まるで被害者みたいなのだ。常に。お母さんは気にせずにこき使うけど。

知っている物語を数度目に読んでも、なにひとつ面白くない。前回読んだのは1ヶ月前。これで5回目だ。ドリトル先生はこのあと地球に帰って、自分の体が家みたいに大きくなっていることを知る。豚のガブガブがびっくりしてひっくり返る。なにもかも知っている。

にわかに、お腹が空いたと思った。

「なんかおやつないの?」

「・・・」

おじさんはちょっと考えてから、キッチンの棚をがさごそあさる。いちおう、ここはおばあちゃん(とおじさん)の家だから、僕は勝手にそこらを触らないようにしている。おじさんは「うーん」と唸り頭を抑えた。

その手に持っていたのはザラメだった。

「どうやら、こんなものしかないみたいだ」

なぜおじさんは他人事なのだろう。

「じゃあ、いいや」

僕のがっかりした顔をみたおじさんは、突っ立って「うーん」となにやら考えている。

3分くらい経っただろうか。まだ「うーん・・・」と視線を宙に這わせていた。

「なに?」

子ども心に、マジで困惑しているおじさんが本当に情けなくて、つい強い口調になってしまった。僕に何かを言ってほしいのか、おじさんが何かをしたいのかよくわからない。そもそも子どもに察してほしい時点で終わってる。空腹も手伝って、本気でイライラしてきた。僕は本を思い切り閉じた。

そのとき、おじさんは

「よよし」と若干声を詰まらせた威勢を発すると、大窓を開けて、庭へ降りた。

隅のほうでがさごそと土をいじり、なんだと思っていたら摘んできたのは、真っ赤に光っている小粒のいちごだった。5粒あった。

「母さ・・・おばあちゃんが育ててんだ・・・」

いちごは好きだけど、それをおやつ代わりに食べるのは申し訳ない。だって育てたのはおばあちゃんなのだ。おじさんのものではない。

「いちご飴にしよう」

「いちご飴?」

おじさんは小鍋にザラメとはちみつを入れ、くつくつと煮はじめた。

かき混ぜていると、ぽこぽこと音がしてザラメが融け、部屋いっぱいにこんがりと甘い匂いがした。

鍋を傾けて、融けた砂糖のかたまりに串刺しにしたいちごをくぐらせる。融けた飴がとろとろと鍋に注がれる。何度か繰り返して、満足したらしいおじさんはそれをそのまま皿の上に乗せた。

「冷めるまで待っていた方がいいよ」

謎の手際の良さと、香ばしい砂糖の匂いに、僕はすでに前言撤回していた。おばあちゃんのいちごだけど、まぁ、家族が食べるんだからいいだろう。盗んでるわけじゃないんだ。

おじさんはいちご飴を爪の先でこんこんつついた。薄く張った飴の膜はすぐに冷えたようだった。

「お食べ」

おじさんが僕に串のまま一個くれた。飴をまとったいちごはきらきら光っていた。

「喉詰まらせないようにね・・・」

小さないちごだから一口でほおばれた。

薄い飴の膜はもろくて、噛むとじゃりっと音を立てる。じゅわりとすっぱいいちごが溢れる。飴の甘さがいちごのすっぱさにぴったりだった。

思わず、おじさんを見直した。

僕の顔を見ておじさんは、早速もう一本を皿に乗せ、残ったいちごに串を刺した。その手捌きは熟練めいたもので、飴にいちごをくぐらせるときは自信めいたものすらもあるようで、そのとき僕は初めておじさんが微笑んでいるのを見た。

「おばあちゃんには内緒だよ。怒られるかもしんない・・・」

「わかった」

 

おじさんとの思い出といえばそれくらいのものだ。あとから知った話では、おじさんは大学を出た後に働いていたけど、ふと仕事を辞めてきて、それからずっとあんな調子らしい。病気とかそういうのじゃなくて、働くことが単純に嫌いなのだとお母さんは言っていた。まったくどうしようもない人だ、とお母さんはほき捨てる。おばあちゃんも「情けない」とわざとおじさんに聞こえるように言ったりする。今では完全な引きこもりになってしまって、高校生になった僕がたまにあいさつをするとビクビクして「すみません」と小声で返す。僕から見れば病気である。

「またいちご飴やろうよ」と何度声をかけようとしたことか。

でも、どんどん背中が丸く、かたくなっていくおじさんに、言えなかった。

その代わりに、あの時の秘密を僕はなんだか、ずっと守っていたかった。