蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

海はいつから眺めるもの?

はいつから眺めるものになっただろう。

子どもの頃は、子犬と一緒に海水浴をしていたもんだ。

そのうち海に入らなくなって、もっぱら砂浜で犬と走ったりボールを投げて取りに行かせたりしていたっけ。私はきれいな石を集めるのが好きだった(ぜんぶどこにいったのだろう?)。

犬が老いてからだ。海を眺めるようになったのは。

犬──メスだったので以降は"彼女"と呼ぶ──はもう走れない体だったけど、海へ行きたがった。歩くのがしんどくても海へ行こうとしたので、抱きかかえたり、ベビーカーに乗せて海へ連れて行った。

デッキに腰掛け、2人で飽きもせず太平洋を眺めていた。

彼女はこの海の広さをどれくらい知っていたのだろう?私でさえ知らないのに。

でも、彼女は全部知ってるみたいな顔で、海を向いていた。

そうやって思い出すのは、秋の海ばかりだ。彼女が亡くなる前に見た海。静かで冷たく、光のやわらかいあの秋の海。

 

海を眺めてぼーっとしているとだんだん、波の音と風の音と、太陽の光と海風の塩っぽさだけに意識を持っていかれて、心地よい無に至ることができる。

なんとなく、その愉しさを教えてくれたのが彼女だったように思う。

犬は喋らないし、なにを考えているかもわからないけど、ときどき人生において重要なことを教えてくれる。

海を眺めるようになったのも、そういう類のひとつだ。

 

もう亡くなってから4年以上経つけど、今でもあのデッキに座って海風にあたっていると、となりに彼女がいるような気配がある。

目を細めて、海の香りを鼻いっぱいに吸いこみ、耳の先で潮風を感じていた彼女。

あの面持ちと佇まいを、海を眺めていると、ありありと思い出すことができる。

あ、そっか。

だから海を眺めるのが好きなんだ。