NHKの受信料をきちんと払ってる。
NHKは受信料をきちんと払うことで、番組内容が格段に面白くなる。
街を歩くときも「おれはNHKの受信料をきちんと払っているんだぞ」と威風堂々、肩で風を切ることができる。
NHKの受信料を払うといいことがたくさんある。
「手話ニュース」は民放では放送できない。視聴率を取れないから、スポンサーがつかないのだ。しかし、スポンサー無関係のNHKでは「手話ニュース」ができる。
私の払った、決して安くはない受信料が、わずかにどこかのだれかにニュースを伝えているかもしれないと思うと、受信料を払うのもいいもんだと思える。
NHKはいい番組が多い。
いい番組というか、私の興味を刺激する番組だ。カネオくんとか、チコちゃんとか、ねほりんぱほりんとか、日曜美術館、映像の世紀、ドキュメント72、将棋フォーカスなどのよく見る番組から、ときたまつけたときに目にする番組もたいてい面白いし、結構尖ったことをやってる。
スポンサーに縛られていないというのは大いにメリットなのだ。
一方で、スポンサーがいないことによる「油断」もさまざまな不祥事や情報の曖昧さから垣間見られる。人気とりが必須ではないからか、全体的に弛緩している気がしなくもない。ハングリーがない。
でも、ハングリーなかんじがしないから全体的に落ち着いているし、喋る速度もゆっくりで聞き取りやすい。余計な音楽は流れず、びかびかした過剰な照明もなく、ニュースの中に広告みたいなしょうもないPRは入り込まず、ほのぼのとしている。
CMがないのは魅力だが、たまに民放でCMを見ると、その完成度の高さと面白さに舌を巻くことがある。
最近は民放を見る理由はほとんどCMを見るためといっても過言ではない。番組を無くしてもいいから、さまざまなCMを流してほしい。悲しいものから楽しいもの、泣けるものから笑えるものまで、思いつく限りのCMを流してほしい。
YouTubeでクソつまらないCMを普段目にしているから、地上波で流れる洗練されたCMが面白く見えるのかもしれない。昔はこんなことなかった。
あるいは、番組がつまらなくなった(私の感受性が衰えた)せいで、CMが相対的に面白く見えているのかもしれない。
もしくは、CMはそれとして面白くなり、番組はつまらなくなり、YouTubeの広告はクソなのかもしれない。
それにしても最近は昔ほどテレビを見なくなったな、と思う。
テレビを持ってない人も相当数いて、テレビ番組の話は上の世代の話題となり、若者は総じてついていけてない印象だ。芸人とか俳優とか、全然知らない。
若手の俳優さんや芸人さんはこれから過酷な時代だろう。
いや、過酷なのは昔から変わらないか。
よかった。私は芸能人にならなくて。よかった。
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