蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

猫語、犬語、ヒト語

は猫語を使っている。常識的に考えて。

同様に、犬は犬語を使っている。

それはそう、ヒトがヒト語を喋るのと同じことだ。

ヒトが犬語をわからないように、犬は猫語がわからないだろうし、猫は犬語がわからないものと思われる。

アニメや漫画によるイメージで、なんか動物は動物だけの共通言語を使っていそうと思われがちだけど、あの描写は正しくない。

ここでいう「言語」とは。

動物は人間よりもはるかに高尚で洗練された精神性を持っているため、そもそも言語などという不完全なツールを使わなくても意思の疎通が可能である。すなわち、ここでいう「猫語」や「犬語」というのは、精神の波長、のようなものだと思っていただきたい。

一方ヒト語は、このいま私(わたくし)が指先を痙攣させながら打ち込んでいる、言葉・言語そのものだ。私の文章は言葉の不完全さに拍車をかけている。

ともかく、その波長が、猫と犬とでは異なるため、相互コミュニケーションは不可能と思われる。

この理論だと、ときどき見かける仲のいい犬猫はお互いに何を言っているのか完全には理解しておらず、ただお互いの察せられる気持ちや動作から感情を読み取っているだけであって、会話をしているわけではない、ということになる。

ヒトが犬を愛し、猫に慰められるのと同じように、猫も犬もお互いのことよくわからないけど、慈しみ合っている。

この心こそが言語のない世界だ。

 

もし仮に(お気付きだろうか?ここまですべて仮の話しかしていない)、犬と猫の波長が合致することがあるとしたら、どちらがどちらの波長にチューニングするのだろうか?

日本人と韓国人の友達が喋るとき、どちらかの言語に合わせるように、犬が猫に寄り添うだろうか。それとも猫が犬に相槌を打つだろうか。

なんかわからないけど、感覚的に、そのどちらでもなく、その2頭の間でしか通じない独自の波長で心を通わせそうな気がしませんか。

韓国人の友達と喋るとき、間をとって英語で喋ろうとするみたいに。

もしそうだとしたら、ヒトどももその波長に混ぜてくださいませんか?

言葉なんてもういらないんです、本当は。

どうせ仮の話しかしないんだから。