猫、好きでTwitterとかYouTubeで動画見てる。犬も好きだよ、もちろん。
猫は可愛くて癒される。犬も可愛い。ただ犬は、昔飼ってた犬たちを思い出すからほんのちょびっとしんみりもしちゃう。
猫動画は癒されるためだけに見ている。
と思っていたのだが、「なぜ癒されるのか」を考えたときに、「可愛いから」は一側面の理由で、もう一面の理由として、「思考停止できるから」私は癒されているのではないか、と最近気付いた。
猫動画を見ているときは思考を止めて何も考えず、ただただ猫成分を摂取しているだけなのだ。口に運ばれた離乳食を飲み込む赤子のように。
なんなら猫動画以外にもそういったコンテンツはあって、YouTubeや Twitterに無限に時間を吸い取られてしまうのはその「なにも考えなくていい」時間に浸っていたいからなのではないかと考えられる。
余計なことを考えず、可愛い猫だけに集中し、可愛いという感情で頭の中を満たして思考停止し、それが結果として「癒し」になっている。
猫に集中したいから、猫動画の家は綺麗に片付いていてほしいし、猫は健康で毛艶が良い方がいいし、飼い主の感想やコメントは一切排除すべきである。ノイズは少ないほど思考停止できる。「思考停止できる」というのはなんだか変な日本語だ。
思考停止と言ってしまうと語弊がある。正確には「余計なことを考えたくない」「脳を働かせたくない」というニュアンスだ。完全に停止して虚無を見ているわけではない。見ているのは虚像だが。
提供されるコンテンツに対して、自分なりに考えたり関心を持って深く調べてみたり、そういうことをした方が脳を動かして自分を深めることができるだろう。
でも、ただでさえ日中は仕事のアレやコレで混乱して脳が疲れてるんだから、家でくらい思考停止して呆けていたいじゃないか。
だからハナから思考の必要性がない猫動画とか淡々とした作業動画とか粉砕動画ばかり見てしまうのだろう。
ゆっくり解説動画だけだ。私の脳みそに刺激を与えてくれるのは。ありがとう、霊夢。魔理沙。
逆に、思考して癒される場合もある。
それが私にとって読書だ。
文字を追う行為そのものがまず頭を働かせていないとできないので結構疲れるし面倒なのだが、うまいこと物語に入り込めればこれ以上の癒しもない。
癒されるには思考をめちゃくちゃ働かせるか、思考を止めるかのどちらかしかなく、思考を止める方が簡単で楽というだけの違いでしかない。
猫動画が悪いとか、思考停止はよくないってことを言いたいのではない。どの時代にも猫動画に代わる思考停止のコンテンツがあったはずで、現代人はどうだとも論じたいわけではない。
ただ気づきのメモとして。
猫動画を見ながら「考えた」ことをここに残しておく。