蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

頭の中にたぎる海

邪が治ってきて、無事にいつもの鼻炎に転化した。

私の病は結局のところ、すべてが鼻炎に帰結する。思えば人生のうまくいってなかった時代もずっと鼻炎だった。忌むべきものだ。

今回の鼻炎はいつにも増して酷くて、顔の前面が重く、こうべを垂れると鼻や前歯がこぼれ落ちそうになるほどの質量を持っている。

鼻をかんでもかんでも無限に湧き続ける鼻水。いつも口が乾いていて、体中の水分が鼻水になっているのだ。だからもう、悲しくても涙も出ない。それは好都合だったかもしれない。

耳も聞こえにくくなっていて、海水浴から浜に上がった時に耳の中に海の一部が入り込んでしまったような、ぼんやりとした響きになっている。

頭の中にビーチと渚があって、私は離岸流で沖に流されかけている。そんな感じ。

 

風邪が妻にもうつったようで、ゴホゴホと咳き込み、喉が痛いと嘆いている。

そのつらさには私も覚えがあるので、可哀想だなぁと同情する。

「あなたのが、ゴホッ、うつったみたい」

「残念だなぁ」

「これに関して悪いとは思ってるの?まったく責める気はないけど」

「一切、思ってない」

悪いのは私ではなく、なんらかのウイルスであり、もっと言えば運命そのものだ。ウイルスは私たちの体調を崩すために存在しているわけではない。たまたま、私たちの体との相性が悪いだけなのだ。(ただし体内増殖はNO)

妻に仕事を休めと助言する。

しかし彼女は休まないで、健気にも満員電車に揺られて都内へ移送され、客と接し、同僚と歓談しているようだ。

それはまぁ、別にいい。私だって治ってないのに仕事に行ってるし、熱がなければ休まないのも妥当だ。

でも、私は休んだ。

喉が痛くて体がだるいという理由ただそれだけで。

そんな状態で仕事の能率が上がるわけない。人前で歌い踊るライブパフォーマンスをするような刺激的な仕事だったら風邪のつらさも忘れるだろうが、こちとらあいにくデスクワークで万年猫背。ドーパミンがドバドバ出るような状況はほとんどない。

どうせ仕事に行ったところでぼーっとするだけだから、それなら休んで寝まくったほうがマシだ。

妻の場合は、なんか今、忙しいらしくて休みにくいらしい。

可哀想だと思う。休みにくい、という状況がこの世からなくなればいいのに。