蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

戦争になったらどうすればいいの?

今の世界情勢や憲法改正の風潮を見るに、これは戦前なのではないかと最近よく思う。

この先戦争になるとしたら、帝国主義的な戦争ではなくて、行き詰まった資本主義を再構築するための退廃的な戦争になるだろう。

見かけだけだとしても、みんなが平等な権力を持ち、教育を受け、社会が金をある程度持ち、成長が臨界に達したときに(表面上の臨界点だ)、資本主義の「成長し続ける」教義とは相反してしまい矛盾を抱えながら停滞するのではないだろうか。

一方で国内の貧困格差は広がっている。それが停滞の象徴だ。モノに溢れた貧困、これがカビのように急速に民草の根で広がると、国家という大木は腐り落ちるだろう。

知らんけど。

 

知らんけど、って逃げるのはちょっとズルい。

でも私は専門家じゃないし、知識もないし、なんとなく肌で感じたことを書いているだけだからどうか真に受けないでほしい。

知らんけど、って言ってるうちにマジで戦争になったらどうしたらいいのだろう。

知らん場合ではないのかもしれない。

 

ロシアやウクライナの状況を見ていると、日本で戦闘になったら一般市民も戦争に巻き込まれるし徴兵もあるだろう。

私は運動神経も悪いし頭も良くないし、おまけに反骨精神の塊なので徴兵されてもまずなんの役にも立たないことは明白である。視力もひどく悪い。おまけに猫背だ。徴兵されたらむしろ軍の損に繋がるだろう。

それにしても絶対に戦場には行きたくない。

世間の風潮がどうあれ、家族になにを言われても戦場なんてまっぴらごめんだ。

理由はなんであれ人を殺していいわけがない。

自分が人を殺すことに加担するなんて、冗談じゃない。

私には人の命を奪う権利なんてない。たとえそれが国家から与えられたモノだとしても、使命だとしても、だ。

私が生き残って、なんとか繋ぎ止めた命で、この誰かを殺した手で、妻を抱きしめられるだろうか?私が奪った命もまた誰かを抱きしめたかったのだとしたら……。

戦争は特殊な状況だからあらゆる印象は操作されて人殺しを肯定されるようになるだろうが、「自分は人に殺されたくないし、殺したくもない」という考えだけはブレずに持っていたいものだ。

他国への感情に比べれば、愛国心と呼べるものはあるかもしれないけど、それと殺人は別だ。

 

書籍を作る仕事をしているけど、戦争になったらその仕事もなくなるかもしれない。戦争中に本が売れるとは考えにくい。

せめてそうなる前に「有事対策マニュアル」を企画して一儲けしたいものだ。もうちょっと危なさが見えてきたら企画書を作ろうと思う。

食事とか配給制になるのだろうか?

配給飯、という料理本を作るチャンスだ。

配給された食事をアレンジするバズレシピがSNSで出回ったりするんだろうな。それで敵国風のアレンジになっていたりすると炎上したりするんだろうな。

その炎上自体が敵国によって仕組まれたものである可能性はある。みんなが疑心暗鬼になっていく。在日敵国人への強烈な差別が生まれることは想像に難くない。

 

戦争は嫌だ。

私は今からちゃんと自分の立場や考えをあらためておこうと思う。知らんけど、と言ってる間に、他人事ではなくなってしまうから。