蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

コンビニ無制限購買欲求

こさいきん粘着質な悪夢ばかり見ていて、寝起きは吐き捨てられたばかりのまだ温かいチューインガムを踏んだような気分だったのだが、先晩久しぶりに(長期休暇ほどのペースの久しさだ)良い夢を見れたので、記念にここに書いておこうと思う。

実にシンプルでいい夢だった。

コンビニで爆買いする夢だ。

しかも、ローソン、セブン、ファミマの3軒を回り、値段もカロリーも気にせず好きなだけ食べたいものをカゴに突っ込んでいくのだ。

各コンビニのブランドで発売されているポテトチップスを「味比べ」と称してすべて買い揃える。

ホットスナックもそれぞれいいところがあるから食べ比べなきゃならない。Lチキとファミチキに決然として優劣を決めなければならない。高価で知られる「からあげクン」を全種類買うこともできる。

セブンイレブンの気になった冷凍食品をどんどんカゴに入れていく。デザートも迷わず入れていく。これが流儀だ、礼儀だと言わんばかりに。

酒。酒なんてもう、酒だ。飲みたいものすべて。

ああ。

ああ、忙しい。

忙しいよ〜笑

って楽しんでたらスッと目が覚めた。

「まさに夢を見ていた、だな」と寝起きに呟いた。

 

この夢の良かったところは、食べる前に終わったという点だ。

こういうのってバイキングも同じだけど、楽しさのピークは選ぶときにあって食べるときではないと思う。ピークというか、選ぶ楽しさと食べる楽しさは別の種類のものだと私は考える。そして私にとってどちらが楽しいかというと、選ぶ方が楽しいのだ。なぜなら食べる量には限界があって、消費期限があって、美味しさを感じる限界があるが、無制限に選ぶのはなんの限界もないから。

本も読み始める前にどんな物語だろうと思いを馳せている時間の方が楽しいかもしれない。物語がそれを上回る面白さでなければ。

思い返してみれば、ほとんどのものは選んでるときの方が楽しさを感じているかもしれない。

 

それにしても、久しぶりに見た「いい夢」がコンビニで無制限に買い漁る夢だったのが、我ながら実に庶民的だ。

この夢だって最高だし たしかに実現は不可能なんだけど、せっかくならもうちょっと現実離れしたことを夢の中でくらいしてみたかった。

たとえば?

たとえば……コンビニの商品をその場でちょっとずつつまみ食いする、とか……。

 

曜日感覚/年月感覚

、火曜、と2日間労働してみて体感する時間の長さは、土日のあの恐ろしく早く過ぎ去る時間と結局のところまぁおおよそ同じくらいか、と思う。

48時間なんてこんなもんだ、と思う。少し強がりながら。

真に恐るべきは水曜日以降だ。水曜の朝の時点では、まだ平日は折り返していない。

しかも月火以上の長さがある。

水曜日は週の折り返しだけど、水曜の朝の時点では折り返せていないわけであってその言葉と現実の差異が僅かに心に負担をかける。労働時間的には14時をすぎたあたりでないと「折り返した」とは言えない。もっと言うと水曜日が終わらないとターンを返せたとは認められない。

木曜はラストを目指して、そのかすかな光明を頼りに這いつくばるしかない。木曜日の標語は「這ってでも」だ。

そして金曜。金曜はもうほとんど気分は休みみたいなものなので「オマケ」のていで過ごしてて差し支えないのだが、最近こうして油断していると金曜にドドドと問い合わせが殺到したり仕事が舞い込んだらする(だいたい「週明けから扱うので今日中にお願いします!」みたいな急を要するものが多い)ので、あくまで油断せず、天敵に見つからないように息を潜めている小ネズミのように静かに過ごしている。

今日はまだ水曜日。

やれやれ。

 

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8月が終わってしまった。

8月が終わるたびに宿題を終わらせられなかった子どもの頃の焦燥感と絶望を思い出す。

あの頃終わらなかった宿題はまだ終わらないまま残っている。これからもずっと。

 

通っていた高校は自称進学校だったので、夏休み前半とお盆を挟んで後半に学校で「夏期講習」なるどうしようもないものがあり、しかも8月25日とか23日あたりに夏休みが終了していたので大して休んだ気がしなかった。

夏期講習の内容もどうしようもなかったのだが、これに参加しないと教師から「やる気なし」と見做されて肩身が狭くなるので参加票だけ提出して予備校の夏期講習に参加する者多数であった。

なので真面目に学校の夏期講習に参加すると、名簿に対して出席人数があまりにも少なく、かえって惨めな思いをするのだった。

8月の終わりにはそんなしょうもないことばかり思い出す。

 

大人になった今では「8月が終わってしまう」ミクロな焦燥感より、もう一年も残すところ4ヶ月しかないという方に目がいく。

やるべきことが頭の中をイワシの群れのように乱舞する。

大人になっても夏の終わりはしょうもないとはね。

 

もはや宿題を残していい段階ではない。

 

 

私の中に息づく物語

ンビニのハムサンドイッチを食べるたびに、村上春樹世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』で太った女の子が博士の地下室で作ってくれた完璧なサンドイッチのことを思い出す。

その完璧なサンドイッチに比べたら、コンビニのハムサンドは何点くらいなのだろう。

少なくともカラシは効いてるけど。などと考える。

考える、というか、一瞬心がそのように動くのだ。食べる前に「いただきます」を言うみたいに自然な所作のひとつとして。

 

物語の描写は日常生活に紐づいている。だから、日常生活も物語に紐づいている。

すべてがすべてではないけれど、日常の光景の中にいつか読んだ物語の描写を想起させるものがあって、ふと通りかかったときにあのページの描写と空気感が蘇るのだ。

村上春樹で言えば他にはキュウリを丸ごと食べているときには『ノルウェイの森』で主人公が病室でキュウリに海苔を巻いて醤油をつけてぼりぼり食べていたシーンを思い出す。もっとも、キュウリを丸ごと食べる機会はそうそうないけど。

 

昭和っぽい花柄のホーロー鍋を見ると吉本ばななの『キッチン』を思い出す。

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『キッチン』に出てくる台所は、アイランドキッチンやシステムキッチンといった角ばったピカピカの代物ではなく、ごちゃついていて壁にはシミがあって調味料がそこかしこに散らばっているのに全体として一体感を持ち、温かい料理が出てくる実家のキッチンだ。散らかって汚いように見えるけど、物を大切に使っていて道具はぴかぴかで長持ちしている、そんなキッチンだ。

で、そういう類の昭和っぽいキッチンには99%花柄のホーロー鍋がいる。

なぜいるのかはわからないが、文部省の統計(『台所用品白書』2013)にも昭和っぽい台所には花柄のホーロー鍋がある。そうであってほしい。などと書いてあったり書いてなかったりする。

『キッチン』のキッチンにもおそらく花柄のホーロー鍋はあるはずだ。

これは描写でもなんでもなく私の勘でそう思っているだけで実際には書かれていないのだが、そう思い込んでいるので、花柄のホーロー鍋を見ると『キッチン』を思い出すのだった。

 

他にもたくさんある。

生の牛乳を飲めばカフカ『変身』でグレゴール・ザムザが虫に変身したのち好物だった牛乳を口が受け付けなくなったことを思い出す。

かまぼこが食卓に並ぶと『吾輩は猫である』で水島寒月君がかまぼこを食べて前歯が欠けたことを思い出すので慎重に食べるようにしている。

蕎麦を前にすれば迷亭が せいろを山葵につけて豪快に啜るシーンが手繰り寄せられる。

 

こうして書いてみると食べ物ばっかりだ。

案外食べ物というのは作者の思想が強く反映されるもので、印象深いのかもしれない。

そんなことないかもしれない。

あるかもしれない。

弦交換をした

日にギターの弦を張り替えた。

ギター(楽器)を弾かない人からしたらなんのこっちゃという話しだろう。

ギターの弦は日に日に錆びてどんどん音が鈍っていくので、定期的に張り替えねばならない。ギターの音が最も綺麗なのは張り替えたその日だ。弦は永遠ではなく消耗品なのだ。だから交換する。これはなかなか手間のかかる作業だ。

 

鋼鉄の弦を外してやると、ギターの木は、ほぅ、と一息ついたように弛緩して見える。すべての弦楽器は、弦を張る力と反対方向へ反ろうとする力が拮抗した常に緊張状態にある。だからか、弦を外すと肩の力を抜いたような顔をするものだ。

だが、弦を張ってないとそれはただの死んだ木だ。死んだ木に用はない。

指板についた手垢や汚れをオイルでこすり、ボディや糸巻きの埃をとる。

リア・ピックアップ(音を拾って電気信号に変換する装置)の調子が悪いので、外してどこが悪いのが見てみる。しかしよくわからなかった。そのうち修理に出したほうがいいだろう。

新しい弦を張り直してチューニングを合わせ、しばらく強めにガシガシ弾く。弦は金属製なので、張りたては延びて調弦が狂うのだ。

弾いてはチューニングし、また弾いては弦が落ち着くまでチューニングする。

 

ギターを始めたての頃、この弦交換ができなくてかなり苦戦した。

弦交換は慣れないと難しいので店でやってもらう人も多いが、私はなんとしても自分でやりたかった。

自分の楽器くらい、自分でメンテナンスしたい。たとえばそれは自分の腕や足のように。手の爪を切るくらい自分でやるだろう。それと同じことだ。

当時使っていたギターは震災で棚から落っこちたキズモノで、値段が破格に安くなっており買ったものだった。小さい傷がところどころに見られたが、アンプに繋げば音は出たし、弦も6本ちゃんと張ってあった。ギターの形もしていた。

ただ、やたらと重かったし、使っていくうちにネジが緩んで部品が外れたりと惨惨たるものであった。極め付けは糸巻きが壊れていて、弦交換が容易ではなかったことだ。

それでも自力で張り替えた。1週間くらいかかった。

今こうしてすんなり弦交換するたびに、あの最初のギターの地獄みたいな弦交換を思い出す。

 

調弦が落ち着いてきたので、知っている曲を知っている順に弾いていく。

熱心なギター弾きではないので、ずっと下手くそだ。レパートリーも増えないし。ビートルズの「ミッシェル」をあと何年弾くのだろう。

でも、なんとなく知っている曲を弾けるのは、ひとつの豊かさだよなぁとも思う。

張りたての弦は艶やかな音で和音を奏でる。空間全部に広がっていくように。

丁寧な気持ちになるように。

怠惰と発散。ときどき痴皇

間の七つの大罪は「傲慢」「強欲」「嫉妬」「憤怒」「色欲」「暴食」「怠惰」である。誰しもマイナスの側面でこれらのうちのどれかひとつを有しているだろう。二つ以上の大罪を犯している人もいるかもしれない。

幽遊白書』に出てくる奴隷商人・痴皇は4つか5つクリアしている。立派なことだ。

かく言う私は「怠惰」を司る。

サボリ癖がひどくて、いつか怠惰によって大変な目に遭って死ぬんだろうな、と自覚している。が、そのクセを治せない。たぶん痛い目に遭ってもどうにもならない。なぜなら怠惰だから。

仕事は手を抜くし、やろうと決めたトレーニングは続かないし、ゲームすら面倒くさくて買っても手が出せない。眠るのも面倒くさい(嫌な夢ばかり見るから)のでだらだら起きていて、寝落ちするのを待っている状態だ。

 

そんな私が唯一続いているのがこのブログだ。

実は昨日のどうしようもない記事で(どうしようもなくなかった記事は無い)900本目を数えた。平均1000文字書いているものとして、少なくとも90万字も同じようなことを書き続けている。どうかしてる。

2019年から始めて今日までほとんど休まずに続いている。

休む日もある。忙しいうえに書くことがひとつも無い日だ。毎日語りかけることがあると思ったら大間違いだ。こちとらなんの変哲もない日々をガソリンのように浪費しているだけなのだ。刺激は少なく、書く題材に常に飢えている。

 

ブログを書くことがある種のストレス発散になっている。

私の恋人はその日にあったことや考えたことを言葉にして私に語ってストレスを発散しているようだが、それと同じで私にとってはその日に感じたことを文章に書き表してストレス発散をしているのだ。

ブログでは冗長に饒舌だけど、じつは実生活ではほとんど私は喋らない。

口から言葉にして文章を組み立てるのがひどく苦手というのもあるし、活舌が悪いのであまり喋りたくないというのもあるし、面白くない話しかできないのがコンプレックスでもあるし、お喋りをする友だちがいない(彼女しかいない)というのもある。

本来、こうして文章にせずともお喋りを通して発散できた言葉の魂を、因果なブログにしたためることで、ようやく発散できている。

一線超えればかなりヤバイ人だ。

 

だから怠惰を司る私でもブログは続いているのだろう。

書くことで発散できるばかりか、形としても残るし、私は私のブログが誰よりも好きで、たびたび読み返しては笑ったり推敲し直したりしている。

文章を書く練習にもなるし、生活のリズムができて健康的だし、私のブログを読んだ若い読者からファンレターを貰うこともあるし、農家の方からはありがたいことに季節の野菜を段ボールいっぱいにいただき、先日は3億円を拾えたらいいなぁと思った。まったくいいことづくめだといいのにな。

ブログを書くのにも、嘘をつくのにも、もはや義務感とか課題感は無く、歯を磨いたり糞尿を垂れるのと同じレベルの日常の動作のひとつにまでなっているので、きっとこれからも続くと思う。

齢を取って痴皇みたいに下品になったときに読み返して、くくく馬鹿だな、と笑いたい。

 

今週のお題「サボる」

梅酒の近況/仕事の終わらせ方/金曜夜の過ごし方(覚醒編)

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を漬けて2ヶ月になる。一個を除いてすべての梅が沈殿した。

この一個はしぶとく浮かんでいて、瓶ごとひっくり返してもまだ浮かんでくるので、なにか特別な力を持っているのかもしれない。

「腐ってるんじゃないの」彼女が言う。

その可能性もある。なんにせよわからないので、しばらくは静観しよう。腐ったり、激しく上下したり、「意志」を持ち始めたらただちに除去するまでだ。

蓋を開けるといよいよ梅の香りが濃くなって今にも飲めそうな雰囲気すらあるが、最低でも3か月ということなので、楽しみは初秋までお預けだ。

梅酒作りは「待つ」楽しみを教えてくれる贅沢な趣味だ。

他の果実でも挑戦してみたい。

 

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8月の初めから取り掛かっていた仕事がようやく終わった。

ベンダーに問い合わせをしたりユーザーと調整したり、中旬には私がその仕事の存在を完全に忘失していたこともあって、かなり時間がかかってしまった。

他の仕事が忙しくてベンダーに「どしたん?」って訊かれるまで完璧に忘れていたのだ。私の案件なのに。

そこから私の作業にかなり面倒な事態が発生し、簡単に言えばベンダーの指示するものと私の知っていることがまったく噛み合っておらず、過去(平成二十年代の資料)の手順書をようやく見つけたのだがまったく仕様も変わっていて使い物にならず、それでも頑張っていろいろと試してみたがどうにもならず、いよいよ「これ放っておいたらみんな忘れてどうにかなるんじゃないかな」と現実逃避をしていた。他の案件が忙しかったこともあって集中的にその仕事に取り組めなかったことも災いした。

などと言い訳をして見て見ぬふりをしても仕事は終わらない。

結局、その作業に詳しそうな人を見つけてきて相談したらなんとかなった。最初からその人に相談しておけばよかった。意地を張らずに頼ればよかったのだ。

社会人3年目の気付きは、仕事はやらなきゃ終わらない、ということだ。

これは不変の観念だ。最悪だが、やらなきゃ終わらないのだ、何事も。

 

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金曜夜、仕事が終わって夕飯を食べて、ゴロゴロしてたら眠くなってきて、30分ほど寝た。起きるとまぶたに重さが残っているが、無視して強炭酸で割った酒を飲むと目が覚める。

そこからつまみながらアニメや映画を観る。時間を有意義に使っていると感じる。

一度睡眠を挟んだことで曜日感覚がバグを起こしたのか、金曜の夜なのに土曜の夜みたいに感じた。

「うわ、もう土曜の夜かよ」と口で言いつつ、実はまだ金曜の夜なんですよ。最高じゃないですか?

このバグは、ブログを書いている現在も続いている。

そう、土曜の午前中なのに、なんとなく日曜の午前中のような気がするのだ。

これは素晴らしいライフハックを手に入れた、と思った。

私は優しいのでこのライフハックを読者の皆様にも教えてあげようと思った。

劣悪/悪化/快復

社の倉庫は酷い環境で、そこに2時間も居座れば容易に精神をきたしてしまうそんな劣悪極悪最悪牢獄部屋なのだが、私は昨日そこに累計1時間半ほど一人でいた。

通信機器や使い古したマウス・テンキーの山、見たこともないほど古いコンピューター、計測装置、大量の空き箱、扇風機、備蓄食糧、やたらと高い湿度、目が痛くなるほどの埃、薄暗い灯り。

機器の棚卸しをせねばならなかったので、倉庫とオフィスを行き来して累計1時間半はそこで作業をした。

使い古したマウスとテンキーの山が一角に築かれていて、私はそれが怖くて直視できない。

ボタンの隙間に手垢やカスがこびりつき、マウスはどれも壊れていて、コードはそこに絡みついた埃さえも朽ちて赤黒くなって、複雑に絡み合って一個の個体のようになっている。

その様相からは人々の「怨念」が漂っていて近寄りがたいのだ。

みんなが怨念を恐れているので、マウスたちは捨てられることなくその一角に何年分も積まれている。

たぶん妖怪は、ああいう一角から発生するのだろう。妖怪とほとんど違わない邪悪な雰囲気を出しているので、奴が夜な夜な歩き出して人々を襲う日も遠くない。

とにかく埃が酷くて、マスクなしではものの数分で肺が腐ってしまう。

目が痒くてもまぶたを擦ってはならない。手についた汚れが目に入り炎症を起こす可能性があるからだ。先輩はそのせいで目を潰した。

エアコンの効きも悪くて暑い。

劣悪極悪環境で汗をダラダラかきながら機器を棚卸しして、一仕事終えてオフィスに戻るとなんだか体調が悪かった。

 

ひどい頭痛、そして喉の痛み。

バファリンを服み、カルピスを買って飲んだ。カルピスはなんだか体に良い気がするし美味しいから士気も上がる。それでなんとか仕事を切り抜けて、帰宅すると喉の痛みが本格化した。

こういう時勢、体調の変化には敏感になるし不安が高まる。

熱を測る。

35.9度。

いつもより低すぎるくらいだ。逆に問題だ。

紅茶を淹れてたっぷりの蜂蜜を溶かしてゆっくり3杯飲み、喉スプレーをして早めに寝た。

こういうときはとにかく寝るに限る。明日の朝ダメそうならもうダメなので、どうしようかな、とか不安になることを考える間もなくすぐに眠れた。疲れていたのだ。

 

起きると喉の調子は良くなっていた。昨日よりかなりマシだ。

もう少し様子を見るが、今日は在宅勤務なので落ち着いてゆっくり過ごそう。

 

皆さんも体調ほんと気をつけて。労わろう。みんなで。労おう。世界。