蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

「砂丘」って合唱曲について

2の校内合唱コンクールで、クラスの選曲係になった私は、「砂丘」というやや古めの曲を推した。

音楽の先生には「ちょっと2年生が歌うには難しいかもしれないけど……でもまぁ、いいんじゃないかな」と半ば諦めているかのような許諾を受け、クラス内で候補曲のアンケートをとることになった。砂丘と、ほか2曲の合計3曲からひとつ選ぶのだ。

結果、砂丘は4票を獲得し、見事落選した。

「暗い」

「よくわからない」

「難しそう」

そんなつまらない理由が、みんなの心を惹きつけなかったようだ。

あのアンケートで選ばれた曲は「走る川」という爽快かつ楽しい曲で、それで学年優勝もできたので結果として良かったと思う。今でも好きな曲だ。

でも、当時私が推していた「砂丘」もかなりいい曲だった。

 

……なんてことをふと思い出した。

「いい曲だった」なんて言いつつも、昨日くらいまで忘れてたし、メロディも思い出せない。

これが30年前だったら、当時の友だちに連絡してどこかに音源がないか探す、なんてブログ記事に発展するのだけど、今は2022年、便利なもんで、インターネットで調べたらなんだって出てくる。

当然YouTubeに音源は転がっている。

聴いてみる。

 

【合唱】 砂丘 - YouTube

 

我ながらセンスいいと思う。

これを好んで選んだ中2の自分、マジでイイ。

などと自尊心の昂りを感じるほどにはいい曲だ。

 

砂丘って名前だけど、この曲ではサハラ砂漠みたいな灼熱のイメージではなく、北極圏の荒涼とした風景が思い浮かぶ。

砂は白くて、触れると粉砂糖のようにさらさらと音を立てて指の隙間からこぼれ落ちていく。

空気はほんのり冷たく湿って、髪の間をわずかにしずくで埋めていく。

半分だけの月が浮かんでいる。

たしかに暗い曲だが、しかしそれだけではない。

迫力がある。

危機が迫ってくるような、なにかに追われるような、それでいてなにかに追いすがるような迫力だ。

あと、ピアノがいい。

序盤は砂がこぼれ落ちるかのような音運びで、後半から四分音符のバッキングパターンに変わり、徐々に低音を強く、激しくなる。痛々しいほどに。

そこに複雑なコーラスが絡み合って勢いを増し、砂の山の頂に登り着いたかのような爽快感を覚える。

この曲のピアノを弾くためならもう一度中学から人生をやり直してもいい。とさえ思うね。

で、3番の入りがいいのよ。

2番の入りはピアノの間奏が入るのだが、3番の入りでは間奏がなく、2番の静けさを破り、感情を炸裂させるように歌ごと飛び込む。

コーラスが重厚で、崩れ去る砂山を踏みしめてそれでも歩き続けていく力強さ、が想起され心に残る。

なによりも好きなのが、最後の、いちばん最後のハミングだ。

美しく響きながらも、歌詞の余韻を残すかのような不穏さを漂わせるハーモニーで終わるのである。

オシャレ。なんて格好良いの。

 

中2の私は最高だった。

逆にこの曲をあの年で歌っていたら、今はこう思えなかったかもしれない。

人生は取りこぼしても、一握に残った砂の粒こそが大切なのかもしれない。

それは時として小さく光るのだ。古い星のように。(うまく言ったつもりになってる)

 

今更だけど東京オリンピックの感想でも言うか

京オリンピック、やったの去年かよ。

今年やっていたような気もするし、一度もやっていなかった気もする。

もろもろの炎上もあったし、それを受けての開会式は日本という国が空っぽでもう限界ですよってことを明示しているようで見ていてつらく、なんかもう日本人であることがたまらなく恥ずかしくなったので記憶から消却していたのだった。

あんなもんでも頑張って開催にこぎつけた人や、犠牲になった人々がいて、忸怩たる思いになる。

その人たちの努力を、悲しみを、あるいは喜びを無碍にするつもりはないけど、それで「あの程度」だったのだから、まるで理不尽で胸糞の悪い映画を見ているみたいだった。

誰かの利権のための茶番劇。

それがオリンピックでした。

ちゃんちゃん。

で終わるかと思ったら、最近になって悪いことした人がちゃんと逮捕されてて、笑った。

ちゃんとするんだそのへんのとこは。ちょっと見直した。

 

競技はふつうに面白かったし、選手たちは頑張ったし、感動して泣いたかもしれないけど、ああ、これが東京オリンピックじゃなければな、とずっと心の片隅で思ってた。

オリンピックが本当に盛り上がって最高の祭典になっていたら、終わってもしばらくの間は熱も冷めやらなかったろうけど、実際には嵐が去って胸を撫で下ろし粛々と家の周りを片付けるみたいな雰囲気で、私はこの出来事の判断を歴史に任せたかも思ったし、歴史から消し去りたいとも思いながら、とにかくしばらくは忘れようと心に決めたのだった。

このことこそが、あの災厄を語るうえでの、すべてだったのだ。

炎上騒ぎの一つくらいならネットで笑われてコラにされてネットミームにでもなるけど、それにすらならない。ネタにならない。

40年後くらいに未来の子どもたちに東京オリンピックはどうだったか訊かれたら、私はなにも言葉にできないだろう。

戦争体験をした方々の中にはなにも語らない人がいるというが、その方達の気持ちがわかる。思い出したくもないのだ。

でも教訓もあった。

バッハの演説がやたら長かったこと。演説は短く要諦を掴んでいるほどに賢く優秀であること。演説の長い人をトップに据えてはならないこと。

そんな先の未来で子どもたちが存在するかもわからないが。

東京オリンピックは未来への絶望と、現在を作り出したすべての過去の取り返しのつかない闇雲な反省と、無惨の露呈を見させてくれた。

どうしようもないし、愛想も尽きた。

 

だからオリンピックに関する話題は金輪際、これきりにする。

不快な思いをさせてしまったのなら、本当に申し訳なく思う。いい思い出になった人にとってはこんな文章、不愉快でしかないだろう。

でも、どこかに、やっぱりちゃんと、偽りなく自分の思っていたことを書いておきたかった。

「いろいろあったけど、まぁ、よかったよね」なんてとても思えない。

たとえ口では、建前では言えたとしても。

 

今度のマリオは共産主義だ!

ーパーマリオのキャラクター性の大きな特徴として、「ヒゲ」とか「赤い」とか「オーバーオール」とか「マンマミーア」とかいろいろ言えるけれども、私は声を大にして「マリオは資本主義である」と唱えたい。

もっと汚くすれば「マリオは資本主義の犬である」と言いたい。

 

彼のゲーム内での任務はピーチ姫を助けることに終始一貫しているが、道中ではコインを集めることが目的のひとつと化している。まるでそれが、生きる目的だとも言わんばかりに。

ただ、マリオはコインをやみくもに集めているわけではない。

私たちがやみくもにお金を稼いでいるわけではないのと同じように、マリオの世界の貨幣にだって価値があり、効能があるのだ。

一定数集めると残機が増えたり(寿命を延ばしている)、ダメージが回復したり、水中では酸素にもなる。

水中にいると呼吸が苦しくなって溺れ死んでしまうのだが、どういう理屈か、コインを集めるとゲージが回復して酸素代わりとなる。

お店に行けばアイテムと交換することも叶う。

そう考えると、我々の貨幣よりもよっぽど使い勝手の良いものに思えてならないが、結果としてできることは同じでもある。私たちだってお金を払って病院へ行ったり、延命したり、酸素ボンベを買ったりできるではないか。

だからあれは我々の、カネ、と同じに見ていいだろう。

それにしても、コインで水中を自在に泳げたり命が増えたりするというのはなんだか節操がなく、そういう部分で資本主義の犬と断じざるをえない。

マリオはカネを集めにBダッシュしているのだ。

これを資本主義的と言わずなんと言えばいいだろう。

 

マリオを開発したニンテンドーは日本の企業であり、日本は資本主義の国である。

もしもソ連が開発していたらどうなっていただろう。

マリオはコインを集めなかったのでは無いだろうか?

開発者は「コインを集めさせよう」という発想には至らなかったのではないだろうか?

もっと言うと、クッパみたいな「支配者」がいるのはかなりまずいから粛清されるだろうし、ピーチ姫も旧帝国的で反革命的だから粛清。

マリオとルイージも職業不定で共産圏の幸福なイメージにそぐわない。粛清。

キノピオだけが残る世界。そこでなにが生まれるというのだろう。

コインじゃなくてやっぱり「配給券」を集めるのだろうか。それをキノコと交換するのだろうか。

ステージを攻略していくというよりか、ステージを支配していって、最終的にクッパの旗を下ろすのではなく、自分たちの旗を立てそうではないか。

 

死んでも代わりがいくらでもいるから大丈夫だろうな。

 

女の手は冷たい

の手を握ったら、とても冷たかった。

その日は秋晴れの小春日和で私としては暑いくらいの陽気だったので、妻の手が思っていたよりも冷えていたのに驚き、つい口を滑らせて

「女の手ってみんな冷たいな」

と言ってしまった。

 

「みんな、って誰のこと?」

「いや、ちがくて」

「わたし以外の女?元カノの話?」

「まあ、いや、ははは」

「笑って誤魔化すなよ。元カノの話なのね」

「いや、でもね、僕が今まで手を繋いできた女の子の中で、君の手がいちばん冷たいよ」

言ってから、しまった、と思った。

動揺してさらに口を滑らせた。

なんのフォローにもなってない。

こうなると妻はスタスタと早歩きになって、口を聞いてくれない。

やれやれ。私が悪い。

「うん、認めるよ」妻の背中を追いかけながら言った。

「確かに元カノたちの話をしたかもしれない。つい、この愚かな口が勝手に、情動に任せて動いたんだ。

でもさ、いいかい?僕たちはもう結婚していて、死ぬまで、いや、死んでからも一心同体の関係なんだよ。夫婦なんだよ。男女の幸せのひとつの極地点なんだよ。たしかに元カノはいたよ、僕。でも彼女たちを差し置いて君が人生でナンバーワン、宇宙でただ一人だけなんだからさ、そう醜く嫉妬するのはおやめよ。嫉妬は大罪のひとつだよ」

妻は余計に怒った。

 

今まで握った女の子の手は、みんなやわらかくて、ひんやりとして、かすかに湿っていた。

私の手が熱いから相対的な問題でもあるのかもしれないけど、それにしてもみんな冷え性のようなことになっていて、冬はぶるぶると震えていたものだった。

女の手は冷たい。

だから、私がそんな観念を獲得してしまうのも無理はないと思う。

なかには温かい手の女がいるのかもしれないけど、私の手が熱いからお互いに熱いと不都合だし、だいたい、妻以外の他の女の手を取る機会は今後の人生無いだろうから心配も杞憂だ。

私はだんだん妻以外の手の感触を忘れていくだろう。妻の握りしめる冷たさに上書きされて、温度を思い出せなくなるだろう。

それでいいと思ってる。

 

そう言えばよかったのかもしれない。

 

尊敬する人/定期券購入未遂/納税の催促怖すぎる

なたの尊敬する人は?

と訊かれて「はい、父と母です」と答える子どもの93%は、そう答えると大人が喜ぶのを知っていて、そう答えているのです。

頭を洗っているときにそんなことを考えた。嫌な人だと自分でも思う。

でも、自分の子どもが考えなしにそう答える人間になってしまったら、教育を考え直すだろう。

だくだくと音を立てて汚れた泡が排水口へ流れていくのを見た。

 

***

 

定期券を買い忘れていたため、11月に入ってから自費で通勤していたことに今朝気付いた。

なんかお金減ってるカモ?って思ってたけど、気のせいじゃなくてほんとうに減ってた。減るもんじゃないと思ってた固定観念が邪魔をしたのだ。

それがショックで月曜の朝からゲンナリした。おれは一体、こういうところで人生の損をするのだ。

と、ひとしきりゲンナリしたらすぐに忘れて、結局家に帰るまで思い至らず、今日分もきっちり自費で通勤してしまった。過去の自分よ、なぜそんなに金を入れてたんだ。

絶対に明日の朝、定期を買う。

やると言ったらやる男だよ、おれは。

 

***

 

帰宅したら区からお手紙が届いていた。

区から届くお手紙で幸福になったためしはないので警戒したが、案の定、不幸の手紙だった。

開けると飛び込んでくる漢字、見たこともない六文字熟語、読んでも何かわからない、わかる気もない文章、次いで数字、なにやら数字、どうやら金額、しかも高額、ちょっと血の気が引く高額、納税、納税せよ、納税?してるが?

「国民の三大義務のうちのひとつ、納税」

国、お前がそれを言うな。

国、お前が言うからムカつくんだ。

お手紙の内容がわからなくて、でも不穏な雰囲気だけはわかって、怖くなった私は一旦置いてベットに潜り込んだ。

布団の陰からそっと机の上を窺うと、妻がそれを取り上げた。

「こういうの、ちゃんとしないとダメだと思う。27歳になるわけだし」妻が言う。

妻はこういうことにルーズなのをひどく嫌う。正論を振りかざすのだ。

「書いてある意味がわからないんだ。文学部出身のおれがわからないんだから、正直、悪いけど、中卒とか学歴の弱い人は間違いなく理解できないね」

「あなたがこれをまともに読む気もないから理解できてないんでしょ。それにいま学歴は関係ないでしょ。音読しなよ。意味わかるから」

「だいたい読まなくてもわかる。不当な理由をつけて納税を迫ってるに違いない。こいつらは目ざとくおれの人生にケチをつけて、カスみたいな小金をせしめようとしてるんだよ。どうせ子育て支援とか老人の介護負担軽減とか有用なことには使われず、意味のないタワマンを建てる補助金にでも使われるのサ。だからおれは読まない。読んでも理解しない。区に怒られても仕方がない。争うことになったらこの区から出ていくだけだ」

「ああわかった。離婚するか?」

私は、読んだ。声に出して読んだ。

するとどうやら、転職に伴って住民税がどうのこうのらしく、来年5月まで給与から引かれない分の税を自分で払わなければならないらしい。

目ざといやつらめ。

そう説明されると、しかし、理にかなっていて反論できない。

だから正論は嫌いだ。

 

緑色の💩の日

💩が緑色だった。

やれやれ、おれはいつからカタツムリになったんだ?と手足を確認するも、ちゃんと10本ずつ指がついているし貝類みたいに伸びてはいなかったので、まだヒトでいるらしい。ヘビーウェザーの攻撃じゃないんだから。

 

※ここから先、汚い話しかないので、自己責任で読んでください。

 

緑色の💩が出るのは何年ぶりだろう。

前にも一度、そういった類の💩が出たことはあった。もう10年くらい前のことだ。

そのときは体調に何の変化もなかったが、極度に憂鬱な気分になったことは覚えていて、そのときに作った曲が当時やっていたバンドのスタンダードナンバーになったのだった。

過去にはアルコールを摂取しすぎて灰色の💩がでたこともある。おそらく腸液かなにかの作用で変色したものだろうと、生物学部の知人が教えてくれた。

「アルコールによって内臓が破壊されたんじゃないかな。死んでもおかしくないくらい飲んでたもんね」

まったく。

経験豊富な人生だ。

 

灰色の💩事件をもとに考えると、今回の原因も内臓系のものと考えられる。食べ物によって💩の色が変わることはあるけれど、今回は地の色というのかな、💩の要素がグリーンだったんじゃなくて、💩の成分それ自体の色がグリーンだったんだよな。例えるなら画用紙に緑の絵の具で絵を描くんじゃなくて、緑色の画用紙に絵を描いたイメージだ。

緑色の臓器といえば胆嚢。これは魚を捌くと緑色の臓器=胆嚢を「苦玉」と言って嫌厭することからわかる。

胆嚢に入ってるもの、つまり胆汁がなんらかの不具合によって消化液として分泌されすぎた結果、💩がバグって緑色になったのだろう。

内臓がバグると💩の色が変わるってちょっと面白いけど、もしかしたら変な病気の可能性もあるので気付けてよかった。

 

緑色のうんちが出たけれど大丈夫?原因と対処法を解説します! |たまプラーザ南口胃腸内科クリニック 消化器内視鏡横浜青葉区院

 

このサイトで調べたところ、やはり胆汁が原因と見られ、消化機能が弱っている証拠らしい。

ほっとけば治りそうなので様子を診たい。なんともなければいいけど、1週間続いたらさすがに病院へ行こうと思う。

 

それにしても💩の絵文字は他の色のバリエーションがないのだな。ヒトのアイコンは配慮されているのに。

💩の多様性に配慮されていない。

つぎのiOSアップデートでは緑、赤、黒、青、灰色などのバリエーションが追加されることを願う。

虚空を語る男

社の人とお昼に行った。

私より1ヶ月先に入社したほとんど同期の女の子と、私の面倒を見てくれている女性の先輩とだ。

女性が多い職場でありしかも私は既婚者なので、軽率に昼食に誘えないらしいが、なにも気にすることはないと伝えておいた。気遣いさせているようで申し訳なくすらある。

昼は一人になれる貴重な時間だから、いつもなら60分のうち15分は食事にあて、あとの時間は気ままに歩いたり古本屋を覗いたりしてリフレッシュしている。でもたまには、月に一回くらいは一緒に食べるのもいいかもしれないと思えた。

自分に社会性があるみたいで、すこし自信がつくから。

 

それにしても人と食事に行くと、相手にばかり話させてしまって申し訳ないなと思う。

自分のことを話したい気持ちもあるけど、全然心を開けなくて、事実をやや誇張してオチをつけ、コンテンツ化したことしか話せない自分が嫌になって、そのうち聞くに徹してしまうのだ。

昔はこんなことなかったのに一体どうしたのだろう。

「ここから先は嘘になるけどこうしたほうが笑いを取れるな」と話しながら思ってしまって、大袈裟なリアクションをつけながら話し、計画通りに笑いを取れると安心する、というのを繰り返している。

これも一種のコミュニケーション障害なのかもしれない。

気を許した友だちなら話にオチがなくても、自分の意見が多くても、なんも気にせず話せるしリラックスできるのに、会社の人となるとそうはいかない。

いつも話の展開を先回りして聞いたり、話しているので、すごく疲れて、だからこういう機会は月に一回くらいがちょうどよく思えるのだ。

無理して話さなくていいので、会社とか取引先との会話は聞くほうが好きだ。「ひと笑いとってやろう」とか「なにかいいこと言ってやろう」と必死に考えなくて済む。

相手が話好きだと尚いい。頷き、微笑み、「それでそれで?」と興味深そうにしていればいいから。

 

コミュ障にも多種類ある。

まったく喋れないひと、初対面とは喋れないひと、逆に初対面の人とだけ喋れるひと、人の話を聞かないひと、一方的に自分の話しかできないひと。

私のこの性質も、そのひとつに加えていただきたい。

慣れてきて心が開いてくれば治るものなのだけど、一年以上かかる。

もっと建前を磨いて、本当の自分を切り離して、仕事として会話できたらいいのに、と思うし、心がけよう。