蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

フルーツが好きな人は読まないでください

イトルにもあるとおり、フルーツ好きな人は読まないでください。フルーツへのヘイトスピーチが書かれています。具体的には、本物のフルーツよりも加工品やグミとかの方が美味しいよね、って話です。この記事は誰かを傷つける可能性があります。それはあなたかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ルーツって「偽物を超えられない本物」の代表格だ。

たとえば、スイカ

イカバーより美味しいスイカを私は食べたことがない。

この高級スイカは糖度が高くてみずみずしくてよく冷やしたんですよ!と言われても、種と皮を食べられない時点でスイカバーの足元にも及ばない。

申し訳ないけれど、たぶん私に子どもができたらスイカバーばかり食べさせてしまうので、本物のスイカを子どもが見たとき「スイカバーの元ネタ」くらいにしか認識できなくなってると思う。「スイカって丸いの?」みたいな。魚の切り身が海を泳いでると勘違いするのと一緒。

食品加工技術が目覚ましい昨今、本物のフルーツよりも、グミやアイスやフラペチーノや、加工品のほうがフルーツ本体よりも美味しいということが多い。

だから私はフルーツを高い金を出してまで買わない。人からもらったときだけ食べる。

食べるにしても、皮を剥いたり、種を取ったりせねばならず、しかもフルーツによってはかなり面倒なものもあって、その対価として得られるメリットが「加工品よりも甘くない」みたいな感想になってしまうため、コスパがひじょうに悪い。

私がフルーツを食べるのは単に「栄養があるから」以外にない。

「腐るともったいないから食べておくか」という後ろ向きなモチベーションで消費することも多々ある。

 

桃は桃缶を超えられない。

桃は皮を剥いたり種を取ったりするのが難しく、しかも剥きながら手の温度でぬるくなっていくし、潰れたりもするので意味がわからない。ものすごく甘いやつもあるけれど、桃缶の次に美味しいな、という感想以外に持てたことがない。

でも本物にもいいところはある。

香りがいい。袋から出したときにたちのぼるあの青春のしずくみたいな香り。あれは嬉しくなる。

それに、桃は煮て加工してコンポートやシロップを作れるのも楽しい。そのまま食べるよりも美味しくなるし、長持ちもする。

でもそれだけ。本物のいいところは。あとはすべての点において、桃缶とスタバの桃のフラペチーノに敗北している。

私が言いたいのは、桃は手間の割に……ということだ。

「それはあなたが美味しい桃を食べたことがないからでしょう」と怒られても仕方がない。事実そうだし、桃が私の琴線に触れたことなんて一度もない。

高級な桃を、誰かが向いてくれて冷やしてくれたらもちろん美味しく食べられると思う。

 

フルーツを素直に美味しいと思って食べたことがないかもしれない。

美味しいフルーツに出会ったときも、これを森の中で見つけて食べたら美味しいだろうな、などと想像しながら食べてしまう。

火事で焼け出されたあとに食べたら涙が出るほど美味いだろうな、とか。

平安時代だったら朝廷で召されていただろうな、とか。

目の前のフルーツに向き合えていない。

食べても「栄養があってうまいな」と味そのものへの感動が薄く、旬だなぁとか、栄養がありそうだなぁみたいな裏側の情報に向かっている。

これはもう一種の才能で、私にはフルーツを楽しむ権利も人権も法律もないのだと思う。

 

ほとんどすべてのフルーツが加工品や紛い物に敗北するなか、本物が勝利をおさめているものもある。

梨だ。

梨は手間と美味しさを偽物と秤にかけても、本物の梨の方が価値が高い。

あのみずみずしさと甘さと食感はなににも代え難いのだろう。