蟻は今日も迷路を作って

真面目な話からそうでない話まで。本当の話から嘘の話まで。蟻迷路(ありめいろ)という人が書いてます。

「ポケモン」をやってこなかった人間の末路

 ケモンについて語れと言われても、語るべき思い出はほとんどない。ゲームをしたことがないし、アニメも少ししか見たことがない。

 そんな私でも「あ~憧れのぉ~ポケモンマスタぁにぃ~♪」って曲は知っているから、ポケモンってすごいと思う。


 幼いころ、ゲームをかたく禁じられていた。
 「ゲームをやると馬鹿になる」という宗教上の理由だ。
 たしかに、ゲームばっかりやっていると外で遊ばなくなるし、目も悪くなるし、勉強もしないから頭も悪くなるだろう。ただそれは「ゲームしかやらなかった」場合であり、ゲームを持っていても勉強すればいいし、外で遊ぶときは外で遊べばいいのであって、親が子どもを制御してメリハリをつけさせればいいだけのこと、「ゲームをしたら馬鹿になる」という論理はまったく理に適っていない。
 私はゲームをやらなくても目が悪くなったし(裸眼で0.05)、勉強を全くせずに泥団子を作ったり漫画を描いたりしていたので成績もかなり悪かったし、近所に友だちがいなかったので頻繁に外で遊ぶことはなかった。ゲームは関係ない。できるやつはゲームをやっていても東大に入るし、できないやつはゲームをやらなくても中卒だ。


 なので、ゲームの話題になると弱い。
 ゲームと共に成長した世代であるはずなのに、ゲームをやっていないので、まったく話に入れないのだ。とくに「ポケモン」の話題になるとかなり苦しい。
 私が知っているポケモンと言えばピカチウミウツーイーヴイくらいで、それは知識がおろそかと言われてもせんかたない。ポケモンのことをもっと勉強すべきだ。教科書を買うべきだ。試験を受けるべきだ。
 

 じゃあ今から話題に追いつくためにポケモンのゲームをやったらいかがだろう、と思われるだろうが、ゲームをやるつもりは毛頭ない。やる時間がないし、楽しめるとは思えない。ゲームはやりたいからやるのであって、やらなければならないからやる、というのはゲームの楽しみ方ではないだろう。
 「ポケモン」の話題は私の世代だと当然のように会話に出てくる。ほとんどの人が共通して持てる話題なのだ。私以外は。
 ポケモンの話になると、私はにこやかに頷くしかできない。「ああ~」「へぇ~」「ふ~ん」「ほ~ん」と相槌を打って、余計なことは言わず、話題の波が沖に消えるのを待つまでだ。
 相槌ポケモン「相槌を打つ」「黙る」「席を外す」攻撃はその三つだ。
 

 私としては先日の芥川賞の話や文豪の異常性癖の話をしたいのだが、そんなことを話せる人はまずいなくて、突如そんな話をしたらキモがられるし、本を読んでいる同世代なんて数えるほどしかいないから、今後もますます肩身が狭くなる一方だ。
 私が「趣味読書です。好きな作家は村上春樹です」と言うと、えっすご~い文学青年じゃん!初めて見た~!とからかわれたりする。どうかしてる。


 話が逸れたけど、とにかく「ポケモン」に弱い。できるだけ避けたい。
 人々が当然のことのようにポケモンの話をしているのが腹だたしい。ポケモンを人々が当然のことのように通過してきた義務教育のように扱わないでほしい。私がつらい。
 あんまりポケモンを話題にするようなら、精神的にやつれた私は、ポケモンモンスターボールに引き篭もるよろしく部屋に引き篭もるかもしれない。そうしてそのうち社会的排斥者敗北者としての怪物になるぞ。相槌ポケモンのメガ進化だ!くらえ!「首を横に振る」「話題を変える」

 

 

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