蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

"見える"妹がいる生活

    さんくせぇ〜〜って思ってくれていいのだけど、私の妹は霊魂やオーラが見える、選ばれし人間だ。

    本人曰く物心ついた頃から見えていたらしくて、それが普通、と思っていたらしいのだが、見えるわけないだろ。このようなことを言い出したのは彼女が小学校低学年の頃なので、決して中二病ではない。せいぜい小二病だ。

 

    小学校に入るやいなや、急激に妹の視力が衰えた。しかも視力は日によって変わるらしく、わけがわからない。

「黒板が見えない」とだけ、寡黙な女である妹は呟く。不気味な奴だ。

「黒板から、なんか湯気みたいなものが出てて、そっちに気を取られて文字が読めないし、授業中もそこらを子どもが走ってて気が散る」

     結論から申し上げると、妹が見ていたのは霊であった。小学校の隣の丘に墓地があり、当時大型台風が来て墓を崩していったところ、行き場をなくした魂が小学校をうろついていたのだ。お祓いをする人に教えてもらった。

 

    は??????????

 

    と、思われても仕方がないだろう。にわかには信じがたいことだ。でも、そうだったのだ。そういうことになってる。

 

 

    霊が見えると言われても、見えない人や身内に少なくとも2人以上そういう人がいない人間には信じがたいことだろうし、母と妹が霊感を持つ私ですら、少し信じがたい。気がおかしいんじゃないか?失礼ながら、そう思ってしまうこともある。

    ただ、実際に霊障に遭遇すると信じないわけにはいかない。

    それはもはや、信じる信じないではなく、いる、のだ。そう思えてくる。

    妹はかつて戦地だった土地や人混み、鬼門などに行くと、その近くを通っただけで気分を悪くする。顔が真っ青になり、表情がどろんと暗くなる。呼吸が浅くなり、苦しそうに震える。そのうち、水のような涙をだらだら流しはじめる。

「……なんでもいい、飲み物……」

    道端に座り込んでそう言うので、用意してやる。とても立てそうにないのだ。その光景は尋常ではない。

    人混みに行って毎回こうなるわけではないけれど、特に東京へ出かけた時にこうなる頻度は極めて高い。上野、神田あたりでは、ほぼ100%こうなる。他には鎌倉や、広島市長崎市などで彼女は苦しむ。

    5分くらいすると、顔はまだ青いながらも表情は元に戻り、からりとした態度で涙を拭き、立ち上がる。

「大丈夫。出ていってもらった」

 

    出ていってもらったとはどういうことか?

 

    行き場をなくした霊が妹の体に入り込んでくる、取り憑く、というやつに陥り、それは結構苦しいものらしいのだが、しかしそこは百戦錬磨の妹、対処法を心得ていて、こういう場合、「お願い、私はあなたのものじゃない。私じゃあなたを受け止められない。お願い、成仏して。お願い」とひたすらお願いし続けるのだそうだ。ふ〜ん。私も取り憑かれたらそうしようかな。

    こんな妹がいると、兄としては心配というか、とんでもないことになってるな、と幽体離脱よろしく鳥瞰(ちょうかん)して思ってしまう。

 

 

    特にオチはないのだけど、このようなわけで、我が家は当たり前のように霊はいるものとして扱われているのだ。

    でもそれって、怖いとかじゃなくて、ふつうに素敵なことだとも思う。だって、なんか、魂を大切にしてる感あるじゃん。不思議な目線で。

    宗教なんかではなくて、なんか、事実というか、現実として、そういう霊とか魂とかあった方が絶対に楽しいし、良いと思う。

    ていうか、あるんだけど。