蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

衝動的3分間

(5分くらいで読めるホラー小説です)

 

 

    たいてい皆がする怖い話ってのは過去の話が多いねもちろんそれが悪いわけじゃないし怪談に限らず多くの話というのは過去の話にならざるを得ないんだ構造上。
 でも本当に恐ろしいことというのは現在進行形の恐怖さ自分が恐怖の渦中にいる時こそ文章を離れて客観性を捨てている現在こそこの時こそが真の恐怖を味わえるというもんだ。ま難しいことは言わないでおこうおれもよくわからねぇからw なぁんて単芝を生やす地の文であることを許してくれこれは話である以前に「語り」なんだから。
 

 最近運転免許を取ったんだよマニュアル気取ってるわけじゃない、おれは実家の軽トラを運転しなきゃいけないんだそのうちスポーツカーも乗ってみたいってのが本望だけどってそんなことはいい。
 免許取るのって運転できて学科を通ればいいってもんじゃない取るまでにいろいろな授業がある救命救護の実習なんて4時間もやらされるんだぜあとそれから高速道路のシミュレーターとかなあんなもん幼稚なゲームさマリカーと変わんねぇアイテムがないだけだくだらねぇ。
 中でも嫌だったのが乗り合いの教習だな教官1人と生徒3人で一台に乗って生徒はそれぞれの運転を評価し合うんだここがよかったとかあそこが駄目だったとか教官に指導されるならまだしも同じ生徒であるやつらに評価なんてされたくねぇよなうざくて仕方ねぇし受けたくもねぇし評価もしたくねぇ、めんどくせぇでもこれをやらなきゃ試験すら受けさせてもらえないんだからやるしかねぇ。
 で、乗ったよ。おれと教官と真面目そうなメガネ君とおばさんでつーかババアだよ教官より年上っぽいんだよなやりづらいったらありゃしねぇでもまぁ、生徒としては年齢なんて関係ないからさ評価するわけババア、緊張して汗だくんなっててさハンドルが湿ってんの右折も左折のときに寄るのも確認もしないで滅茶苦茶だったしエンストもしちゃってさんざん教官に怒られててよまあ同情するねおれもそれなりに緊張感あったし。こう見えても真面目なんだよ。
 おれはそれなりに上手くできたつもりだったでもやっぱり対向車とのすれ違いで注意されるもう少し待てだの路肩の草にぶつかっただの草ぐらい良いじゃねぇかなw ババアとメガネ君にも評価してもらってババアにもう少し落ち着いて運転した方がいいなんて言われてちょっとムカついたカーちゃんそっくりだ。
 で、問題はメガネ君だよ。
 いかにも真面目そうなお坊ちゃんでおれやババアが運転するのが今後軽トラだとしたら奴は親父から貰ったスポーツカーで銀座とか表参道を走るんだろうなそんな雰囲気だった。
 ハンドルを握るや軽快なクラッチさばきギアさばきでまるで車と肉体が一体化してるみたいに滑らかなんだよメガネ君の思い通りに動くなんて思ってすらいないかもしれないおれたちが普段歩いたり走ったり箸を使ってこうやって鍋をつついたりするときにいちいち頭の中で、右手の中指に若干の力を込め春菊を挟まないように細心の注意を払いながらネギと肉をつまみ右肘を15度上19度右上体をやや伸ばして……なんて考えたりしないようにまったく自然なハンドル操作で的確な速度で完璧な注意力で県道を泳ぐんだよそう、走ってるんじゃない泳いでるみたいだったおれとババアは大きなクジラの背に乗ってるみたいに穏やかな気分だったね教官が一番驚いてたよ君、経験者?とかわけわかんないこと訊いてたメガネ君も実は父の車を運転したことがありましてなんて小気味の良い冗談を飛ばしてさ余裕なわけ。笑ったね。こんなやつがいるんだ、クレバーだ。
 教官がさ気分を良くして色々訊くんだよ免許取ったらどんな車に乗りたい?スポーツカーはやっぱり憧れますねそのためにマニュアルなんです。やっぱりな。
 マニュアル大変だよな後ろの二人もよくわかると思うけどって教官、ちょっと侮辱した感じでおれとババアに言ってさムカついたね。ババアを慮ると胸が痛くなったよだってそれもう揶揄(やゆ)じゃんむつかしい言葉、揶揄。馬鹿にしてるってことなお前らも本くらい読めよ面白いぞ。でもババアちらりと見たら全然傷ついた様子無くてもう参っちゃいますわぁギャハハって笑ってて心配損。ババアはいいよな強くて。
 でもマニュアルって難しいけどなんだか車と一体化したような感覚になれて楽しいですガンダムを操縦してるみたいなこの感じはオートマの方々にはわからない楽しさでしょうってメガネ君が言うわけ。
 ほー、つい感心してしちまったよだっておれはそんな風に考えたことがなかったからさ実家の軽トラ運転しなきゃいけなくてマニュアル免許を強制的に取らされたからこんなもん面倒くさいだけだって心底オートマが羨ましかったでもメガネ君の話を聞いてちょっと考え方を改めたねなんか急に運転したくなったよ。
 メガネ君はその後もすいすい道を泳いで行ってまるで高級ハイヤーに乗せられたみたいな心地がしたもんだすべてにおいて完璧なのさこいつが事故ることはあり得ないし事故ったとしたら追突みたいな他人によるものだろうなそう思った。教官も弛緩しきって、えー君はまったく問題ないね逆になにか不安なことある?まだ時間余ってるから見てあげるよなんて砕けた態度で言ってさ。
 そうしたら、メガネ君の影が、濃く見えた。教官の質問が意図せずメガネ君の地雷を踏んでしまったようななにかヤバイ空気がおれにはわかったババアは寝てたけど。
 なにが地雷だったんだ?なにか癪に障ることがあったのか?そんなに嫌な質問だったか?おれにはわからなかったむしろ教官の言ったことは称賛にも近かったんだから教官の砕けた態度にキレるにしてもキレるほどのことじゃないわからなかったおれの勘違いだと思いたかっただけどメガネ君が赤信号をポンピングブレーキで滑らかに停止するとざらついた低い声でこう話し始めたんだ。先に言う。奴はクレイジーだった。


 僕は車に乗るのが怖くて仕方がないんですだからこそ注意深く完璧な走行を目指してやっています怖いのは車じゃない他の運転手じゃない「僕が運転をする」ということが怖いんですこの車は僕を制御できないんじゃないか?時々とてつもないものが僕の首に迫ってその考えから離れられなくなるんですアクセルが折れ曲がるまで踏み込んでしまいたくなるのですあるいはブレーキをまっさらな道の真ん中で唐突にかけたくなるんですそういう衝動をいつも抑えているけどたとえば嫌なことがあった後や集中力を欠いているときにその衝動に襲われたら僕は僕を御しきれる自信がないのですそわそわするのですあそこにいる信号待ちをしている歩行者を見ていると彼らは今から自分が死んでしまうなんてこれ微塵も思っちゃいない僕が今からアクセルを踏んで彼らに突っ込み凄惨な殺害現場を作り上げることを知らないんです自分は80歳まで生きて孫と妻の手を握りながら病院のベッドの中で緩やかに死ぬんだろうななんて漠然と思い描いていたのに現実は見ず知らずのわけのわからない男に轢かれて五体不満足に血を流して死んでしまうのですそんなこと彼らはこれ微塵も考えていないそういう人たちを見ると、ああ、ここでアクセルを踏み込んだらどうなっちゃうんだろうなって衝動が首元で疼いてある時は足の親指に力さえ入ってしまうのですだから僕は車に乗るのが怖い、このブレーキでは僕を御しきれないから。


 こんな人間がいるのかと思ったこんな恐ろしい犯罪者予備軍に免許なんて与えちゃならないと思った教官は黙り込んでババアは寝たふりをしてたおれも寝たふりをしておくんだった。
 教習車が完璧な車間距離を保ったまま五差路を信号通りに直進したとき母と幼い息子が信号が変わるのを待っている風景にどこにでもある温かで平和で崩壊を知らない風景におれは胸がざわついたメガネがハンドルを切ってアクセルを踏み込んだらこの母子を轢き殺すことができたんだそれはおれがドライバーになっても同じことなんだ。


 それだけさ。おれの話は終わり。3分以上経っちまったなw
 免許を取って一カ月経つけどまだメガネ君が事故を起こした話は聞かないしもしかしたら永遠に聞かないかもしれないあるいはメガネ君は免許を取らなかったのかもしれない取ってまだ乗っていないのかもしれないわからんなんにせよ事故の話を聞かないことがおれの望みw でもあれ以来おれは運転するたびにあの五差路で見た母子を思い出すんだ。おれ次第なんだなって。