思えば昨晩の私は狂っていたのかもしれない。
昨晩。最寄駅の改札を出ると月が夜空に穴を開けるみたいにまっすぐに輝いていた。そこには絶対的な美と、ある種の畏怖すらもあって、瞳の底を射抜いて私の心を震わせた。寒い気がした。腹の内側が熱く膨張するような気配がして、五月の夜の風に咆哮したくなった。
土曜の夜、デート帰り、23時過ぎ。
土曜の夜23時過ぎだというのに、案外周囲に人は多く、また、誰一人として月を見る者なんぞおらなかった。
あの月は私にしか見えていないのかもしれない。ごく自然にそう思ったし、あの月と同じように、私もまた誰にも見られていないかもしれない、そう思った。
月があそこまで堂々と舞台を張っているのに人々の認識の外にあるのは、興味がないからで、それはつまり「目に入っていない」ことになる。
不思議だ。あんなにも美しいのに、誰の目にもとまらない。愚かだ。人はなにかを喪ってはじめてその物の大切さや美しさや恐ろしさを思い知るのだ。月がなくなったら皆恋しくなるだろう。
ああ。
咆哮したひ。
咆哮したひなぁ。
そうだ、おれは、あの月に叫ぶために生まれたんだ。なんの疑いもなくそう思ったし、それしか生きる道はないとさえ思った。目が覚めた気がした。おれは、春の終わりの月に叫ぶ獣だ。
このとき、私はシラフであった。
強いて言えば、スタバの新作のプリン味のフラペチーノが入っていた。
スタバの新作は女子高生を狂わせるし、ちょっとなにかヤバいものが入っているのかもしれない。それとも、私の頭がややおかしいのかもしれない。私は、改札から猛烈なスキップをして帰宅することにした。
月に叫びたいこととスキップをしたくなったことにどんな論理的なつながりがあるのか、はたしてわからないけど、ただ、これはもう、文学だ。詩だ。言葉は言葉の中にないのだ。そう確信して私は数年ぶりにスキップをした。意味がわからない。
自分でも驚くほど高く跳躍し、走るくらいのスピードが出た。
風。
ああ、おれ、風だったんだ。通りで喉が痛いわけだ。ってそれは風邪やんか。つまらん。げらげら。
私は風になった。五月の風。夜の風。月まで届きそうだ。
周りの人が、完全に私をアッチ系の人として見つめていた、と思いきや、誰も私を見ていなかった。
私は、ほらね、あの月と同じように、人々の意識の外にいたのだ。誰も私を認識しない。私は目に見える透明人間だ!
あるいは、こんなアッチ系の人間を見ないようにする習慣があるのかもしれない。私だったら目を背ける。
私は周りの目を気にしないことにして、月にだけ見られてる気持ちで、スキップした。
いつぶりだろう。
最後にスキップしたのは覚えてないくらい昔だ。ていうか、最後にスキップした日を覚えてる人、ちょっとおかしいな。
夜道を轟々とスキップする成人男性は、あわや通報事案だ。こういう奴が江戸時代にいたらきっと妖怪として語り継がれていくのだろう。
妖怪・跳走男
スキップして若い女を追いかけ回すのだ。
途端に可笑しさがこみ上げてきて、笑ってしまった。大声で。
事案だった。
近所にこういう人が住んでいたら嫌だろうな。
でも笑いが止まらなくて、スキップはさらに加速して、もう一生スキップして世界を一周しちゃうんじゃないかって勢いと無敵感が心地よかった。
月が茫々(ぼうぼう)と輝く。
どこまでも跳んで行けそうな────
────と、突然足が止まった。駅から200mくらいのところだ。
呼吸が乱れ、目の前がクラクラした。
なんのことはない、運動不足の祟りである。
ぜっぜっぜっぜっ、とヤバい音のする呼気が肺からばくばく出ていって、血の味がした。肺から吐く血。はいからはくち。
いつ以来だろう、こんなの。
高校のときの長距離走大会を思い出す。あのときは20kmだった。いや、10kmだったかな。本当は5kmかもしれない。ちょっと盛った。
歩くのもやっとなくらい足が震えて、普段の半分の速度で、残りは歩いて帰った。
世界が終わったみたいに静かな夜は、こうして更けていき、月はなおも茫々と輝く。街に影を落としながら。
皆さんも、スキップして帰ってみてはいかがだろうか。
私は、この、最後にスキップした日を、次にスキップする日まで忘れないだろう。