蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

思えばはじめから決まっていたのだ

   は文章を書くのが好きで、小説を書くのはもちろん楽しいし、大変だけど生き甲斐だし、ブログもやってて楽しい。楽しいから毎日続けられる。

    一生こんな感じで書くことの喜びを享受できたらな、なんて思う。

 

    今日はなんの話を書こうかな。

 

 

*****

 

 

    ちょうど良い時期だし就活のときの話でもしようかな、と思って、当時(と言っても去年だ)の証明写真を眺めていたら、加工しすぎてぬるりとした肌、気色の悪い笑顔、骨格の歪みによる効果で私以外私じゃないはずなのに他人のような加工済みブサイクになった就活生の私が4×3cmの紙の中に張り付いていて、心底ぞっとした。

    もしこれが遺影に使われたら私は成仏せずに幽鬼になって、ベッドから足を出して寝てる女の裸足を舐める妖怪になるだろう。来世はそうなりたい。

 

    冗談はともかく、私はこの証明写真を履歴書に貼り付け、80社くらい受けたのだった。

    いや、50社だったかな。うーん、ちがうな、25社だったかも……。自信ないけど、10社くらいだったかもしれない。だいぶ盛ったことは確かなのだが……。

 

    このような具合に、私は就活をぜんぜん真面目にやっていなかった。

    早い人では就活解禁の半年前から活動していたというのに、私は解禁日(3/1)までほとんどなにもしていなかった。

    3月1日から何をすればいいのかわからなかったので、前日夜にひと学年上だった恋人に何をしたらいいか訊いたほどだった。そのくらい、自分の将来について無自覚だった。

    

    始めてみると、思ったより退屈なもんだね。

    自分がやりたいことなんて「働かないこと」くらいだったから仕事なんてなんでもよかったし、多くの説明会は想像通りの至極退屈なもので、なによりも他の就活生がムカついた。

    就活の時だけ真面目ぶりやがって。意識高いフリしやがって。

    卑怯だと思った。

    でも、周りから見たら私もそんな風に見えていたのかもしれない。

    私は、見た目は真面目そうだし、そこはかとなく知性の漂う容貌だし、目利きのような鋭い眼差しもあるのだが、その瞳の輝き方は無垢そのもので、笑顔がなによりも素晴らしくて、可愛くて、格好良くて、私が街を歩くと黄色い声が絶え間なく聞こえてくる、なんてそんなワケはないけど、まぁ、よく言えば真面目そう、悪く言えば友達がほとんどいないキモ陰キャ、といった容姿で、事実、キモ陰キャであった。

    こんな感じでは、私も周りと変わりない真面目ぶった就活生に見えていただろうし、あるいは周囲より3cm、私のところだけ地盤沈下が起きているように見えていたかもしれない。

 

 

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    私は文学部で近世文学をやっているようなゴリッゴリの文系だったので、はじめのうちは出版社や広告代理店なんか憧れだなぁなんて見ていた。

 

    とある出版社の説明会に行った際、臭ぇスーツを着たおっさん(悲しいハゲ方をしていた)が小さい声で出版業界と自社の説明をした。

 

「出版は、はっきり言います、斜陽産業です。本は、売れません。本が売れないから、雑誌を出しています。雑誌も、売れません。唯一、どんな雑誌が売れるかというと、皆さん、最近よく聞くんじゃないですか?文春砲みたいな、ああいう週刊誌です。純文学のみならず、大衆小説も売れやしないから、私たちは週刊誌を懸命にやっています」

 

    なんかそいつ、すごい腐ってた。

    こいつの説明を聞いて、出版社はないな、と思った。

 

    だいいち私は本を作ったり本を販売することが好きなのではなく、文章や物語を書くのが好きなのだ。だから編集者なんかになりたくなかったし、他人を貶めて人生を破滅させる余計なお世話の下世話で下賤で低俗な雑誌記事を書いて生活したくなかった。

    そんな文章を書いて食っていくことは、自分の文章を貶めることだ。

    他人を不幸にして家族を養って子どもを私立大学に入れるような父親にはなりたくない。私の文章はそして、安くもない。

    

    そんなわけで、私は出版社をきっぱりやめた。見るだけ無駄だと思ったので、他の出版社の説明会の予定もキャンセルして、空いた日は昼間から海でビールを飲んだりした。幸せだった。

    広告代理店も、広告ライターになれるものかと思いきや、周りの話を聞いてるとどうやらそうでもないらしく、極めて忙しい業務らしかった。現に、電通に入社した東大生が自殺してたし。

 

 

    そうなるとやりたい仕事が本当になくなって、葬儀屋を見たり性に合わない遊園地を見たりしたけど、葬儀屋はともかく、遊園地に就職したら陰(イン)の者は即座に光に当てられ蒸発するだろう。

    根暗だから物を書くのが好きなのだ。ぜんたい。

 

 

*****

 

 

    私にとって大切なことはなんだろう。好きなことってなんだろう。就職先で迷ったとき、そんなことをよく考えた。

 

    文章を書くこと、本を読むこと、ギターを弾くこと、美味しいものを食べること、数少ない友人、家族、そして、恋人。

    海を見ること、ひっそりと酒を飲むこと、食後の喫煙、デート、恋人とのセックス、川を見ること、空を見ること、散歩。

 

    これらは、今の私が好きなことだ。これらができれば、これらさえあれば、どうにでも生きていけるし、どうにでも死んでいける。それが私の人生で、それだけが私の人生だったとしても、私は心地よく死ねる。死にたくないけど死んでもいい。

 

    

    強く心惹かれて、どうしても受けたい企業があった。

    だが、その企業は本社が私の地元から離れていたうえに、世界転勤があり、つまるところ、もしそこに就職したら、私は私の好きなもののいくつかを手放さねばならなかった。

    そのうちのひとつが、恋人だ。そしてもうひとつが、文章を書くことだった。

    

    恋人を手放したくなかった。遠距離恋愛になってしまえば、どうなるかわかったもんじゃないけど、わかっていた。私には彼女がいなきゃ生きていけない。

    若い、ものの考え方だと思う。

    不確定な未来なのだ、衝動的に進めばいい。

    でも、私にとって恋人の存在は、私の命を繋ぎ止めている錨だった。彼女がいなくなってしまったら、遠く離れてしまったら──たとえ心では繋がっていると言ってもそんなに甘くないことはわかっていた──きっと、私は錨を失った船のようにどこか知らない孤独な海に流されて、もう二度と元のところへ戻れないだろう。船の上でからからに乾いて死んでしまうだろう。

    それは確信だった。

    でも、あるいは、という気持ちもあった。

    遠距離でも、うまくいくかもしれない。甘くはないけど、私たちはそこまで脆くない。そう信じられる自分もいて、それもまた確信だった。

    どうしたらいいのか、わからなかった。

    まだその会社を受けてもいないのにすっかり未来が決められた気になっていた。

    だって、そこを受けるということは選択肢を用意するということなのだ。そして、受かってしまったら、間違いなくそこへ行くということなのだ。「恋人と離れてしまう選択肢」から逃げたくなかった。あとから迷えばいいのだけど、私はこの問題を後回しにしたくないのだ。

    恋人にこの話をしたら「とりあえず選択肢は多い方がいいし、私があなたの将来を遮るのなら、それが一番嫌なの。私たちはそんなに脆くないよ」と言ってくれた。その通りだ。

    でも私は、この問題を今、解決したかったのだ。

 

    もうひとつ手放さなければならないもの。それは文章を書くこと。

    その企業に入ったら、私は私の営みができなくなる気がしてならなかった。それは不動の確信で、阿弥陀も肯定するようなこの世の真理だった。よくわからないけど。

    なぜって説明はできないけれど、そうなのだ。

    あるいは、とも思えなかった。

    その企業に入ったら、私はこれまでの私を捨てて、新しい自分になってしまうだろうと決めつけた。というか、決まっていたことだった。

 

    たとえ自分を捨ててでも、入りたい魅力の詰まった仕事だったのだ。

 

 

    迷った。困った。迷いに迷って眠れない夜が続いた。

    ため息ばかり出て、何を食べても面白くないし、音楽はくだらなくて、本を読んでも頭が空っぽにならず、文字が滑って、目からこぼれ落ちていった。

    就活中もずっと書いていた長い小説をついに書けなくなり、読み返したら呆れるほどつまらなくて、いともたやすく、捨てた。

    その企業のことを考えるだけで気が滅入ったのだ。そのことがますます、未確定な確定事項を不動のものにした。不動明王の顔もしょげる具合にメンタルが落ち込んだ。よくわかんないな。

 

    今の自分にとって大切なことは、10年後の自分にとっても大切なことだろうか?

    考えても答えのない問いかけが、就活のネクタイをきつくしめた。

 

 

 

    10年後も私は文章を書くことを愛しているだろうか?

    たとえプロになれなくても、文章を書いているだろうか?

    誰にも読まれない小説を、今と同じように楽しみながら書いているだろうか?

    恋人とのことは、私一人だけのことじゃない、と区切りをつけ、私は私だけのことを考えた。

    私は10年後も、文章を書けているだろうか?

 

 

 

 

 

 

 

    答えは、エスだ。

    

 

    私はなにか利益的な理由や承認欲求や目標や意味を求めて書いているのではない。楽しいから、ただそれだけの動機で、書いているのだ。

    その想いはこれまで迷ってきたどんな確定要素よりも、確定しきっていた、はじめから決まっていたことだった。それだけは迷いなく言えることだった。

    ただ、その企業に入ったら書けなくなる。それだけがシンプルな迷いの要素になった。

 

    そうなったら、矛盾しているようだが、もう迷いはなくなった。実にあっさりとした決まりで、シンプルでわかりやすい。

    私はその企業を受けることをやめ、死ぬまで書き続ける道を選んだ。

 

 

    10年後なんて知ったことか。私は、今の私を守るために、今の私の大切なものを守るための選択をして、10年後の自分に約束することにしたのだ。

    これはこれで若さに身を任せているな。

 

 

*****

 

 

    結局、私はこれまでの私のまま文章を書いていける環境を残すために、他の企業を受け、現在はそこに通って業務をし、約束通り、毎日なにかしらの文章を書いている。

 

    迷いに迷ってなにも書けなくなったあのとき、とてもつらかった。これが続くようなら、新しい自分になんてなんの価値もないと思えた。それが最終的な決め手だったのだ。

 

 

    私にとって大切なことは、思えばはじめから決まっていたのだ。これまでの人生が、その根拠なんだ。

 

 

    私は10年後の自分に約束を果たすための決断をした。

    それは決断と言うより、決意だった。

 

 

 

     今の自分を、過去の自分を、未来の自分を、そして恋人を、なによりも愛してる。

    10年後もそう言える確信が、今はある。