蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

そこには迷いも決断もない

 ーにが「りっすんブログコンテスト」だヌケサクが!と私も思っていました。

 

 だいたいコンテストが嫌いなのは、これまであらゆるコンテストや懸賞に応募したけれど自分が良い思いをしたことがなく、悔しい思いをしてきたからであって、なぜ悔しくなるかというと、過度に期待してしまうからであった。

 

 その期待とは、賞金が見せる華やかな未来だ。

 たとえば賞金100万円の文学賞があったとする。

 私は小説を書くのがただただ純粋な喜びで、ただそれだけで幸福なのだが、やっぱり文学賞の名前が欲しいし、賞金に心惹かれてしまう。

 その名前と副賞のために文章を書くということはないのだけど、文学賞のための小説を書いていると、どうしても受賞後の「華やかな未来」を想像してしまって、肩に力が入ってしまう。気合が必要十三分に入ってしまう。

 受賞の言葉ではこのことを言おうだとか、まずは恋人に連絡しようとか、100万円でしょ、100万円あったら……なんて闇雲に考えて、下心と下半身丸出しで踊念仏をはじめてしまう。

 地に足が着いていないものだから文章も下半身もブラブラである。

 

 結局、自分の思うようなものは書けず、最後まで書けたとしても「どうなの?」って感じで文学賞も100万円も夢のまた夢。

 なにが100万円だ。そんなもの、貧乏人のまやかしだ。実体がないんだ実際。おれたちゃ福沢諭吉の手のひらで踊らされてる資本主義の奴隷なのサ。経済動物なんですよ要するに。時代はマルクスですよ。え。マルクス。革命でしょこうなったら。おれは、革命家になるぞ。革命家になるぞー!えいえいおー!革命家になって、100万円なんか……いくらでも……ぐすん。と可愛げのある不貞腐れ方をして、安酒に溺れ、失禁する。それでも朝は来る。

 

 あの太宰治ですら芥川賞の賞金が欲しくて川端康成に「刺す」と文章を贈ったほど、金狂いだったのだ。私だって狂うよそりゃ。太宰と私を並べてはおこがましいけど。

 

 

 どうせ、「りっすんブログコンテスト」なんかに応募したところで20万円が貰えるわけがないんだ。

 ふん。20万円。はした金じゃないか。

 20万円。

 ……20万円と言えば、私の月収よりいくらか高い。

 

 ふぅん……。

 

 私は月収20万円のうち、半分ちかくは実家に入れていて、もう半分のうちさらに半分は貯金し、残りの半分、つまり5万円をお小遣いとして懐に収めているが(実際は税金を取られているのでもっと少ない)、5万円のほとんどはデート代と本に消え、まだ夏のスーツを買えていないし、なんなら夏のシャツすら買えていない。

 部屋のエアコンが昨夏から壊れていて使えないので、はやく修理するなり新品を買わねばならない。今年の夏こそ死んでしまう。でも、そんなことしたら私の小遣いは底をつき、遊びに行けず、新品のエアコンを舐めて愛でる一カ月になってしまう。

 税金を徴収され、とくに保証がかぎりなく0にちかい年金にはうんざりしている。どうして自分のためにならない金を徴収されなきゃならんのだ。平安時代の税制か。私は国を恨む。革命家になるしかない。

 

 いいのか?

 だめである。

 なんとしても20万円ほしい。

 

 自由に使える20万円があるということは、なんて素敵なことなんだろう。デートもできるし服も買える。高い本も買えるしエアコンだって。かねてより行ってみたかった料亭に恋人と行くこともできる。妹の学費だって多少は負担できる。ボロ布を着ている母に服を買い与えてやることもできるし、鶏卵や肉など高価な食物だって買ってやれる。

 ……こうやって欲望丸出しで書くと、審査員の大先生方に怪訝な目をされるな。私は20万円の賞金の内のいくらかを、最低でも1万円をなんらかの財団に寄付することを約束しよう。

 

 私は、はやくも「20万円」にまんまと踊らされたのだった。

 

 だけど、20万円に夢を見ているというのが、なんだか癪だ。

 多くの人がこのコンテストに参加しているというのが気に入らない。だいたい流行に乗っかるのが嫌いなんだよ私は。大衆に染まりたくないんだよ。革命家だから。

 やっぱり絶対に書きたくない。これを書いたことで「蟻迷路は20万円に踊らされてる。狂い舞いしてる」なんて思われたくない。参加したら恥だよ。国辱だよ。

 

 しかし。

「ほんとうにそれでいいのかな?」夢の中で毛沢東が言った。

「お前は20万円が欲しいのに、これはチャンスだぞ。チャンスに挑戦しない者は、なによりも愚かなことだよ。ずっとお前は敗北者なのだよ。そうしてずっと寝ているがいい。不幸にも幸福にもなれずに」

 

 

 目覚めて、私は決意を固めた。

 チャンスをものにしなくてはならない。

 そうして、自分をレベルアップさせなければならない。

 私は私のまま、次のステージへ進むのだ。

 

 

 

 その夜、ちょうどネタがあったので、ひとつ記事をしたためた。

arimeiro.hatenablog.com

 個人的に、気持ちよく書けたブログになった。

 これを書けただけで、20万円以上の良い気持ちを味わえたし、満足したみたいなところもあった。ありがちな就活の「迷い」と「決断」がテーマの記事になったけど、それも王道でいいだろう。書いてて楽しかった。

 私はこれを書いたことで、なにかひとつ、先へ進めた気がする。ずっと抱えていた想いを文字にしたことで、自分を見つめることができて、ほんの少しだけ、強くなれたし、自信がついた。

 そうか。夢で毛(マオ)先生がおっしゃったことは、このことだったのか。

 20万円はきっかけに過ぎないけれど、このコンテストのおかげで、私は少し強くなれたんだ。チャンスとは、このことだったんだ。

 自信をもっているので、ぜひ読んでほしい。読者の方からブックマークやTwitterで嬉しいコメントもいただき、そういった感想が何よりも価値があるんだなと改めて実感した。

 あとは20万円が私の懐に入れば大満足の阿波踊りである。

 でも、それも満足のゆく記事が書けた時点で、もはやそこまで価値があるように思えなくなった。くれてやるよ、20万円。私はもっと価値のある物を手に入れたんだよ。

 

 

 

 いや、

 

 

 20万円欲゛じい゛!!!!!!!

 

 

 やっぱり欲しいよ。

 おれは欲しいよ。

 なんとかして、その書いた記事で貰いたいよ!!!!

 

 でも、正直に申し上げて、あの記事では押しが弱い気がした。

 この期に及んでもまだ、私は20万円にはてなき夢を抱いている。この世のすべてか何かだと思っている。ワンピースかなにかだと確信を抱いている。

 

 

 2記事書いたら破門だろうか?

 審査員の大先生方に呆れられるだろうか?

 金の亡者か、と思われるだろうか?

 私は革命家にもかかわらず、大衆に迎合してしまうのだろうか?

 

 

「20万円欲しい」

 

 

 シンプルな欲望が私の指先を動かした。

 そうして今、この記事を書いている。

 そこには迷い決断もなく、革命には程遠い、福沢諭吉の欲望に踊らされる、シンプルな経済動物がいた。