蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

「買う」というストレス発散方法とその矛盾

 腹が減ると私は邪知暴虐になってセリヌンティウスを片っ端から殺したくなる。

 空腹により己の心の奥底に眠っている獣が暴れ出して(ナルトの九尾的なやつだ)闇というか病みというか、そういった類の薄暗い感情がむき出しになり、そのへんを歩いている鳩を、浮かんでいる雲を、噛み殺したくなる。

 とんでもない奴である。

 そういうときは帰りにコンビニに寄って、お菓子を買うことにしている。目についたじゃがりこやトッポやきのこの山乃至はたけのこの里を掴み、レジへ放る。環境に悪いであろうビニルに入れられたそれら矛先の生贄が私の歩くリズムに揺れてカサリカサリと嗤っている声を聞くと、安心する。不思議とそれでストレスは発散されるのだ。

 

 買うばかりで食べないので、部屋にはいくつかの菓子が放置されている。

 買ってから数週間しても、食べなきゃとは思うものの、食べないで放っておいているので、きのこの山乃至たけのこの里のチョコレートはドロドロになってキメラの如く融合し、いよいよ蓋を開けるとあられもない姿になっていたりする。塊になったそれらを、泣きながら食す。不味い。ストレスが溜まる。

 その点、トッポはいい。最後までチョコたっぷりなのだ。

 

 私のストレスはなにか物を「買う」ことで解消され、部屋の片隅に眠ることでそれがまた私のストレスになって返ってくる。

 お菓子だったら消費期限が切れる前に食べなければならない義務感というストレスとなり、ぬいぐるみならその虚ろな瞳が私を見つめるストレスである。

 

 ぬいぐるみはともかく、お菓子なら買って帰って食べればいいだけの話だ。歩きながら食べたって良い。しかしなぜに私がそうしないのかといえば、その理由はひとつしかない。私が小食であるからだ。

 夕飯の前にお菓子を食べたら夕飯を食べられなくなるという、幼少の頃より植え付けられた真理。そして、夕飯の後はお腹いっぱいなので食べる気が失せるという摂理。寝る前に食べたら翌朝お腹を壊すし、休日は寝てばかりで食べる気が起きない道理。

 どうすればいい?私はいつお菓子を食べたらいい?

 

 そもそもお菓子がそんなに好きではないのだ。あんなもの、子どもの食べ物だ。私はアルコールと煙で充分なんである。ニコチンである程度のストレスは軽減されるんである。

 

 だから最近は、お菓子を買わずに、コンビニでうろうろするだけにとどめている。

 見ると、私のような大人がけっこういる。

 みんな虚ろな目でうろうろしていて、それ食べるの?みたいなつまみとか、明らかにカロリー超過している甘物パンを籠につっこんでいる者、から揚げとフライドチキンと鶏蕎麦をレジに運ぶニワトリになんらかの恨みを抱く者、グラビア雑誌の表紙だけ眺めて立ち去る者、ストロング系と呼ばれるアルコール度数が高いばかりで不味い酒を両手いっぱいに抱える者、そして、なにも買わずにうろうろしている私。

 地獄か?

 

 みんな、なんらかのストレスを抱えている。

 そんな人々を見ていると、不思議と勇気が湧いてきて、ストレスは虚ろに消え去る。どこもかしこも矛盾だらけだ。