蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

おれは一体いつから「コアラのマーチ」の絵柄を見なくなつてしまつたのだらう

 近は毎日のようにコアラのマーチを買って食べている。社会人の財力の前では100円なんてまったく惜しくない。100円でコアラ食い放題なんだから安いもんだ。

 

 コアラのマーチの包みを開け、一気に2~5粒口に放り込み、ぐゎしゃぐゎしゃと噛み砕いて飲み込むのは快感だ。コアラのマーチの美味しい食べ方は一粒一粒ではなくて、一気に噛み砕くことで得られる悦楽である。

 するとそんなに量は入っていないので、ものの1分で食い終わる。手と顎を休めずにコアラ・ジェノサイド(コアラの大量殺戮)をした場合の話である。なるほど、数に限りがあるので食べ放題ではないな、訂正しよう。

 そうして茶をすすり、コアラの余韻を含みながら喫む煙草はすこぶる美味い。

 チョコレートと煙草はよく合う。煙草には味の濃いものが合うのだ。コアラはチョコレートとしては薄味かもしれないが、大量一気食いをすることでそれなりの甘さを口の中へ残しておける。

 

 コアラの残骸(空き箱)を見つめながら、ふと思い出した。

 そういえばコアラのマーチには一粒一粒に絵柄が描いてあったな。根本的ともいえるこのお菓子のアイデンティティを、時を経て思い出した。

 そうか、だからコアラのマーチなのだった。妙に美味い単なる駄菓子ではなかった。

 

 幼いころはコアラのマーチの絵柄を一粒一粒舐めるように見てたっけな。

 そして絵柄のコアラにストーリーを見出していたっけな。たとえば楽器を抱いたコアラだったらバンドマンなのかなとか、目がハートのコアラはこっちのメスコアラに恋をしているんだなとか。ときどき、本当に稀に、なんの絵も描かれていないミスプリの虚(きょ)コアラもいたっけな。

 食べる楽しみもあったけど、見て楽しむ要素もこの菓子にはあったのだった。そんなことを思い出して、私は自分がつまらねぇオトナになつちまつたことを嘆いた。

 

 コアラのマーチの絵柄を楽しめない大人になるくらいなら、大人になんてならなくていいッ!

 

 心の中で良いことを言ってくれる破天荒がそう叫ぶ。

 今では、絵柄に割く経費があるなら、そんなことしなくていいのでもう少し安くしてほしいとさえ思い、「業務用コアラのマーチ」でいい、すべてのコアラが虚コアラで良い、大人のコアラのマーチでいい、と思っている。

 なんてつまらねぇオトナになつちまつたことだらう。

 

 次からはちゃんと絵柄も楽しもう。

 そう心に誓って、空き箱のコアラの微笑みに大人の慈しみを抱いた。

 果たして私は、絵柄を楽しめるほどにまだ子どもなのだらうか?

 

 

 つか、コアラのマーチを貪り食うな。いい大人が。

 そうおっしゃる皆さん、あなたたちはつまらねぇオトナです。心の破天荒より。