蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

台風の夜、明けて朝

 晩は物凄い雨風で家が揺れた。

 深夜2時、眠れなくて布団にくるまっていたが、家が揺れているのか自分が震えているのかもわからなくなる。

 一時間くらいそうしてじっとしていた。気付いたら朝になっていた。どうやら少しは眠れたらしい。

 

 暴風雨の中、耳を澄ませると、風にもさまざまな表情があることがわかる。

 暴風故にもちろん風は怒っているのだけど、その怒り方は人間のそれとよく似ている。

 吼えるように家の壁や窓に体当たりをしたかと思えば、電線が風を切る不気味な轟きが聞こえてきて、次第に近づいてくる。どこかでなにかが割れる音までする。激しく揺さぶられる。そうして一時的な感情で物に当たったら、少し疲れたのだろう、途端に静かになる。木々の揺れる音はするものの、先ほどに比べたらそれは静寂に等しい。暴れて怒りが収まったのだろうか。と思ったのも束の間、また遠くからすすり泣くような轟きが聞こえてきて、近づいてくる。瞬間、空が閃く。がーんと後頭部を打ち抜かれたような衝撃と共に今までにない猛烈な風が家を削るように辺り一帯を空中に巻き上げようとする。洗濯物になった気分だ。

 女の怒りかたによく似ている台風だった。

 それは長く、緩急に富んでいて、終わってしまえば何事もなかったかのようだ。関係に傷跡を残しても、見えないフリができる。

 

 そんな冗談はともかく、朝、すべての交通が麻痺していて、私は地元の駅から動けず、仕方がないので家に帰った。

 やれやれ、夏休み明け初日がこれなんて、まるで仕事に行くなと言ってみようなもんじゃないか。ちょっと嬉しかったりもする。

 近所のファストフード店のシャッターが破れていてぶら下がったシャッターがガラス戸にがんがん当たっており、店内は非常ベルが鳴っていた。屯田兵に荒らされたのだろうか。

 道にはさざえが落ちていた。どこから飛んできたのだろう。大冒険だったに違いない。

 近所の家は水道管が破裂していたし、道路は落ち葉まみれだ。ちょっとした世紀末だ。

 

 空は晴れてきた。

 私は家に戻って、電車の運転状況を逐一確認しつつ、このブログを書いている。

 

 昔見たなにかの映画を思い出す。第二次世界大戦中のイギリスを舞台とした、小学生の日常コメディだったような。

 少年や家族は戦火に怯えながらも、その中で小さな幸せや変わらない幸せの在り方を楽しみ、敵国ナチスの新兵器を揶揄する。

 ミサイルなんて飛んで来るわけないだろう。ばかめ。手っ取り早く空襲にきたらどうだ。みたいな。

 すると日曜日の夜、まじで空襲が来てしまう。しかし、ロンドンの空は守りがかたく、ナチスは一網打尽にされ、数か所しか悲劇を与えられない。

 「これじゃあ、学校が休みにならない」と少年は小学校へ向かうと、友だちが校庭でわいわい騒いでて、校舎からうっすら煙が立ち上っている。

 「ミサイルが学校に落ちたんだよ!サンキュー!アドルフ!」

 学校が休みになって嬉しい。めでたしめでたし。

 そういう映画だ。

 

 こうやって月曜日に台風に見舞われて会社に行けず家でダラダラしていると、その映画の中の少年たちの気分がわかる。サンキュー、とはあえて言わないけど。