「大きなカブ」って童話があるなぁと突然思い出した。
やたらと大きなカブが庭先か畑にあって、あるからには引っこ抜いてしまいたいが、翁ひとりの力では能わず、媼(おうな)や子どもや犬や鼠がうんたらかんたら言って協力して引っこ抜いて、引っこ抜いたカブを……
……引っこ抜いたカブを、どうするのだろう。と、そこで物語の結末がどうなったか忘れてしまった。
食べたのだったか、どうだったか。
どうしても思い出せないのでGoogleで調べました。
調べたところ、カブを抜いた後日談については一切の情報が無かった。
ただただ、大きめのカブを収穫しました、終わり。そういうお話だった。
そんなことあります?
そう、この童話は「収穫」が目的なのであって、食べることでも出荷することでもない。なんの見返りも求めていない。
「そうしてカブをスープにしてみんなで食べましたとさ。めでたしめでたし」
なんて安直な終わりではなく、その後カブをどうしたのか言及しないために想像の余地を残しているのだ。
物語で大事なのは労働の対価の「食べる」ことでも、みんなで協力して汗を流す美しさでもなく、「労働」そのものが目的と化しているのだ。
純粋な労働のための労働。
そういった種類の労働は、あるいは徒労と言い換えられるかもしれないが、すべてが無駄になるのではなく、労働のための労働であることによって至ることのできる達成感を味わうことができる。
なんかちょっと憧れる。
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それにしても抜かれたカブはどうなったのだろう。想像の余地の部分を想像してみよう。
おそらく食べたのだろうが、「食べました」とわざわざ書いていないところから推察するに、そんなに美味しくなかったのかもしれない。
大きい食べ物というのはたいてい大味で、もしかしたらカブは瑞々しさを失っていたのかもしれないし、そのくせひどく青臭くてスープや漬物としてあまり食用に適しているとは言い難かったのかもしれない。虫に中身を食われていた可能性もある。
今どき、「食べました」と動画内で説明しないとYouTubeだったら炎上している。「食べ物を無駄にしないでください」「カブだって生きてた」「カブを食べられない人の気持ちを考えたことがありますか?」
やれやれ。
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☆心理テスト☆
あなたの目の前に、大きなカブがあります。
1.そのカブの大きさはどのくらいですか?
2.あなたを含めて5人でカブを抜くことになりました。仲間を選ぶとしたら誰ですか?
1であなたの思い描いたカブの大きさはあなたの性欲の強さを表しています。
2で最初に選んだ仲間はあなたの心許せる人、二人目は実は性的に見ている人、三人目はあなたの理想、最後の4人目はあなたがちょっと浮気したい人、です。
やれやれ。