蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

昼食の不満

  場のランチは美味しくない。

 このことはとても悲しいことだ。

 オフィスビルの食堂があって、そこで食べるのだけど、それが美味しくない。

 不味いわけではないのだ。ただ、美味しくもない。どちらかというと不味い。

 それに、高い。大して美味しくもないのに600円以上する。それにコーヒー100円で飲んで、ペットボトルのお茶を買ったり、2日にいっぺんタバコを買うために、一日約1000円以上消費することになる。

 悲しい。

 水筒を持ち歩いて、給湯室の水道水を飲んだ方が経済的かもしれない。

 

 働くことの唯一の愉しみは昼食であるのに、それがあまり美味しくないから、悲しい。とくにハズレの日は怒りさえ湧いてくる。どうして600円以上払って、悲しくならなきゃいけないのか、労働は罪なのか、私が何かしたのか、恨む。

 だから外に出て食べればいいのだけど、昼休憩が45分なので、外に出て並ぶほどの猶予は無く、しかたがなく先輩方と美味しくないランチを食べる。

 先輩たちは「今日も美味しくないね」なんて言いながら、誰も笑わない。本当に美味しくないのだ。

 

 美味しくないくせに無駄に量はあるので、苦しい。

 600円……と思うと残せないし、残すと先輩に「だから痩せてんだ」と揶揄されるので、無理矢理食べる。

 不幸で膨らんだ腹は重く、午後の仕事の能率を格段に下げる。

 重い腹を抱えながら、これは食事レイプだ、と思う。

 よくわからない炎上しそうなワードを書いてしまったけど、とにかく私が言いたいのは屈辱的、ということだ。昼食の質がもはや「被害」なのだ。「腹を満たすために食べる」というもはや根源的な食事の目的だけが遂行され、食事の愉しみなどといった文化的・人間的な面はまったく考慮されない。

 恋人以外の他人と食事をすると、どんなに美味しいものだってなんだか味気なくて、それなら一人で食べたほうがまだマシだと思う。職場の人たちと食べると余計に不味い。

 

 職場の人が嫌いなわけではないけど、そういうものである。要するにまだ心を開いていないのだ。

 

 家に帰ると、相続関係の話をされながら夕食を摂る羽目になるので、ほんとうに夕飯の味がしなくて、困っている。

 味気ないなんてもんじゃない。なんとかご飯一杯分食べて、早々に部屋に篭ることにしている。

 

 私の平日の食事の質は、いかんせん人間によって低次なものにされている。

 食事を作るのが人間である以上、食事を共にするのが人間である以上、仕方のないことだ。文句も言わずに腹を満たして生きるしかない。

 室町時代なんかに比べたら食事は幸せな方なのだ。

 室町時代がどうしたというのだろう。