蟻は今日も迷路を作って

真面目な話からそうでない話まで。本当の話から嘘の話まで。蟻迷路(ありめいろ)という人が書いてます。

楽観思考を身につける

 日は大学時代のサークルの人たちとの飲み会があって、その幹事を務めることになった。

 といっても私は特に何かをしたわけではなく、店を予約し、集金しただけである。

 その場の取り仕切りや雑多なことはなんかぼーっとしてたら他の人がやってくれたのでよかった。

 

 急遽参加人数が増える、店が思いのほか窮屈、人数が増えたので料理が足りない、など想定されたトラブルがきっちり発生したが、それらに対してなんの対策もしていなかったので、やれやれ、と思った。

 やれやれ、どうにかなるかな。そう思っていたら、なんかどうにでもなったのでよかった。

 

 私は社会人になってから「まぁどうにかなるでしょ」ってかなり楽観的な気持ちを持つことができるようになったが、これがもし大学生だったら私はかなり慌てていただろうし文句のひとつやふたつ言っていたかもしれない。

 だが、昨日の私は違った。

 やれやれ、どうなりますことやら。そう思っただけであった。

 でも実際どうにかなるんだからすごい。

 周りの人が率先して動いてくれたし、店の人の計らいもよくて助かった。私は社会人になって成長したし、ある意味退化もしている。優れた幹事ではないけど、どうにかなった。

 

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 どうにかなるかなぁ、と思っていると、たいてい翌日の自分が何とかしてくれたり、他人が助けてくれるのでどうにかなるのだけど、もちろんどうにもならない時だってある。

 うわっ、こうなったらミスじゃん。そういうときだってある。

 だけど、ミスなんてしょせんミスでしかなく、ほんの数人(ときには数万人)に関わってしまうことではあるけれども、たちまちに絶望するのではなくて、太古からの歴史と人々の無限に等しい営みのことや、宇宙の広さのこと、つねに動き続けている海の果てしない広さ、空の青の底のことなどと比べると、自分のミスなんてちっぽけすぎるものだと思える。

 私たちが雄ダニの交尾の失敗をどうでもいいことと思っているのと同じことで、宇宙から見たら私たちの些末なミスなんて心底どうでもいいことだろう。

 ミス程度で死ぬわけじゃないんだ。それでいいじゃないか。

 なんなら、死んだら死んだでいいじゃないか。

 

 そういう、あまり良くない楽観視の姿勢を取り続けているので、いつか私は大いなる破滅をしそうでちょっと怖い。

 だけど、まぁ、そのへんのことは未来の私がなんとかするだろうし、なんともならなくてもいずれすべての衆生はひとしく煙と土くれになるのだから、あまりくよくよしても損だ。

 楽しそうに生きよう。