蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

地続きの異世界

事で「世界の終り」みたいな業務が次々に舞い込んできて、スケジュールを組むとどうしてもどこかで矛盾が生じ、最終的には破滅を迎える可能性がかなり高くなってきている。多忙。

とは言え、みんななんとなく「まだ焦る時ではない」と高をくくっている節があり、かく言う私もそうで、まぁなんとかなるだろう、こういうのはなんとかなると決まっているのサ、とテスト前に全然勉強しなかったのにやたらとデキル気が湧いてくるあの勘違い甚だしい楽観と同様の自信に漲っていて、職場はそこまで恐々としていない。

大規模な災害が発生し、まさか自分は助かるだろう、と当事者意識と危機感を欠如させ避難しなかったら災害に飲み込まれてしまった……という心理的機序「正常性バイアス」がちょうど10年くらい前にも話題になっていた気がする。

今の状況はそれに近いのかもしれない。

 

「なんとかなる」

魔法の言葉だ。言い換えれば「どうにかしろ」

「なんとかなるだろう」と推量の助動詞を付けると意味は「ノリでがんばろう。知らんけど」になって不安の様相を呈す。

でも今までも「なんとかなるだろう」と楽観的で直視しない態勢でもなんとかなってきた。

どういう結果であれ、終わる時は終わるのだ。

未来の自分がなんとかするだろう。

とは言いつつ、目の前にあることを遮二無二葬っていくしかない。寿司屋みたいに。はい、一丁上がり、はい上がり、はい上がり、はいッ、はいッ、はいッ、はいッ!テンポよく。リズミカルに。

そこまでバカじゃないから、「やらないと終わらない」ことくらいわかっている。

ひとつひとつ丁寧にテンポよく墓穴へ放り込んでいるけど、今はまだ焦る時じゃない。それだけのことです。

 

仕事で忙しくしているとき家でののんびりした暮らしを考えると、あれはちゃんと今の自分と地続きの世界でのことなのかと不思議に思うことがある。

そうして恋人がふにゃふにゃしていたり、彼女が作った料理だったり笑っちゃう話を思い出すと、可笑しくて愛しくて、なんだかくすぐったくて、その世界が今と地続きだったらいいな、と思うのだ。

そしてそこが自分の世界だったことを思い出せて、仕事が終わればそこに帰れると気付くのだった。

それを励みに歯を食いしばるしかない。