蟻は今日も迷路を作って

真面目な話からそうでない話まで。本当の話から嘘の話まで。蟻迷路(ありめいろ)という人が書いてます。

フィクションの地味あるあるに納得がいかない

   ニメ・漫画・ドラマ・映画・小説・舞台などなど、世の中にはフィクション作品が掃いて捨てるほどたくさんあるわけで、私たち日本人は幼少の頃から夕方のアニメに慣れ親しんでいたせいもあり特にアニメには寛容というか、フィクション作品としてアニメはすんなり受け入れられる傾向にあると思う。

 アニメ英才教育、ってわけじゃないけど、アニメの垣根が低いというか、「アニメなんぞけしからん。すべて燃やしましょう」なんて言う人はめったにいないし、同じく「絵」である漫画も似たような傾向にある。

 テレビ東京でよくやってる懐メロ特集とか不滅の名曲特集でもアニソンがランクインしたり、大人から子どもまで、それこそ『のらくろ』から『鬼滅』まで、日本人の多くはアニメ・漫画に慣れ親しんでいるわけだが、

 さて、

 慣れすぎたせいでいくつか看過されているフィクション的表現や状況があることに私は気付いた。

 

 どうやって気付いたかと言うと、気付いたら気付いていた。

 ふとその表現に差し掛かったとき、「そういえば……」とまず思い、「ちょっと待てよこれっていったい……」となりさらに、「どういうことなんだ」と義憤に駆られた。

 義憤に駆られる、と言ってみたかっただけなので別に怒ってはいないけれど、「なんで今まで疑問に思いもしなかったんだろう」とちょっと今までの自分に洗脳的な恐怖を抱いた。

 3つ、フィクションのおいちょと待てコラ案件をご紹介しよう。

 

 

1.駅のホームでお別れ

 

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 よくあるやつ。

 仲間が電車に乗って、主人公と別れ、動き出すと窓ガラス越しに手が離れて、主人公が追いかけるも電車は速度を増していき……。みたいな。

 君が去ったホームに残り 落ちては溶ける雪を見ていた、なんて『なごり雪』の歌詞にもなったほどの、別離の場面の鉄板中の鉄板だけど、じつはワタクシ、プラットホームでお別れをしている人を見たことがない。ましてや、電車を追いかける迷惑な人なんて見たことがない。

 調べてみると、実際にプラットホームでお別れできるらしいが、それには見送る側(ホームに残って電車を追いかける側)は入場料を支払わねばならないらしい。

 田舎の、改札も無いような駅だったら無料で見送りは可能だけど、東京駅や新宿駅では無理だろう。新幹線の駅ではできそうにない。

 今後はこのようなシーンがあるたびにわざわざ入場料を払っているのかなと思うことになる。

 その金銭的な申し訳なさと微妙に面倒くさい手続きとビジネスに徹している鉄道会社の理性がノイズとなって涙腺の緩みを引き締める。

 

 

2.水中で裸眼なのにめちゃめちゃクリアに見えている

 

 これもよくありますね。

 水中にいて、裸眼であんなにクリアに見えるのはおかしい。ゴーグルをつけているならわかるけど、裸眼で、水が眼球にしゃばしゃば入っている状況で、キャラクターたちが対象をくっきりと捉えているのはおかしい。

 孫悟空とかケンシロウとか、ものすごい人たちが水中裸眼でも対象をくっきりと捉えられるのは納得できるけど、そのへんの高校生でも水中裸眼でへっちゃらなのはちゃんちゃらおかしい話だ。

 

 夏の夜の学校に忍び込んだ主人公とヒロインは、見回りの体育教師に見つかって「やべっ木戸センだ!」と逃げるのであったが、逃げた先はなぜかプールサイド。やばい、ここじゃ見つかる!ヒロインが──あの大人しくて上品だと思っていたヒロインが──真っ先にプールに跳び込んだ。少し遅れて僕も跳び込む。水。冷たい。怖い。だけど気持ちがいい。目を開けると、夜の水面に浮かぶ月の光を受けた君が、人魚のように水中を舞っていて──僕はなにひとつ君のことを知らなかったんだ──、僕に手を伸ばして、泡ぶくを弾ませながら笑った。その手は水中とは思えないくらい熱くて──僕は初めて、君に触れることができた、夏。

 

 みたいなこういう話、あるよね。

 あるって絶対。

 ありえないよね。

 絶対ありえないんだよ。(錯乱)

 

 水中でさ、「君」とやらの表情が見えるわけないだろ。ゴーグルもなしで。水中なんて裸眼だったら視力0.001くらいになるわ。コンドームよりも薄いんだよ。

 この水中でも視力が保たれるのは、ほとんどの漫画で通用している。フィクション界の常識でまかり通っている。

 一度気になってしまうと、「どういうことなんだ」と引っかかって、水中で笑む妖しげな可愛いヒロインの顔も歪んで見えてくる。

 

 

3.待ち合わせでの開口一番「ごめん、待った?」

 

 デートの待ち合わせの場面でよく見るセリフだけど、納得がいかない。

 「おまたせ」が普通ではなかろうか。

 そんなことないだろうか。普通に「ごめん、待った?」と言う人もいるかもしれない。

 だげどもざぁ、待ち合わせの定刻通りで相手が先に来ていた場合、言うだろうか。

 「ごめん、待った?」には先に来ていた人に対して寄せる思いやりの心が見れて二人の親密さとちょっとよそよそしさを感じられる一言であるから使いやすいのは認めるけど、なんか不自然に感じる。

 定刻通りならまだしも、遅刻してきて「ごめん、待った?」はないだろう。

 こっちは待ってんだから。「?」はいらないはずだ。自明だ。

 「待ったに決まってんだろ」とそこで言う人はいないけど、キャラクターは内心そう思っているに違いない。そこに想像されるキャラクター間の内心のギスギス。ノイズだ。

 実際、開口一番に挨拶をせず「ごめん、待った?」が出てくる人なんているのだろうか?いたとしてもその人はフィクション作品の形式に沿っているのではないだろうか?そのくらい、この一言は「作られたもの」つまりは「セリフ」感が強いのだ。

 まぁ、フィクションなので作られたものであるのは当然なんだけど。

 ここは開口一番「おまたせ」が最も自然ではなかろうか。

 1、2に比べてかなり弱い指摘点だが、「ごめん、待った?」が出るたびに私は内心もやっとしたものを抱えてしまうので、今後は使用を控えていただきたい。

 

 

 ↓

 

 

 ここまで3つに渡って無粋な指摘をしたわけだけど、書いて思ったのは、フィクションなんだから細かいことはいいだろ、ということだ。

 つまらないことをした。

 ただ、こういった看過されたフィクションの地味あるあるを再確認して、あえて自分の作品の中では、お別れは改札口で済ますとか、水中では何も見えなかったとか、「おまたせ」と言わせることで、ちょっとしたリアリティを持たせることができそうだ。

 むろん、そうなると、ある場合においてはロマンスが欠ける可能性もある。