この疫病の流行中ではあるが、かねてより予定していた沖縄旅行に行ってきた。石垣島である。
行くべきか、キャンセルすべきか、かなり迷った。
キャンセル料はすべて返ってくるし、世間の風当たりも強いし、万が一コロナに罹った場合、昨今の魔女狩り的な感染者非難の視線は避けられないだろう。最悪、会社を辞めることになるかもしれない。
それでも、我々は沖縄行きを決行した。
行かないと心が持ちそうになかったのだ。
世間の風当たりやウィルスの脅威はこの際気にしない。手洗いをし、お茶を飲み、こまめなアルコール消毒を心がけるだけだ。
そんで、行ってみてわかったけど、やっぱり行って良かったと思った。
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私と恋人は、これまでに7回旅行に行った。
そのうちの8割が雨、乃至は曇天であった。全日程晴れていたことはなく、かならず一度は雨が降る。
今回の石垣島旅行も、1週間前の予報から私たちが沖縄に行くその期間だけ雨と曇天の予報であり、私は憤っていた。
いったいいくつの困難が私たちのささやかな旅行を阻むのだろう。
日頃の行いのせい?
盗みも殺人もしてないのに。
私は毎日祈ることにした。
毎朝、起きてすぐにベッドに正座し、柏手を打ち(好きなだけ打つ)、声に出して唱える。
「神様、お天道様、いつもお見守りいただきありがとうございます。どうか、沖縄旅行の天気をお恵みくださいませ。よろしくお願い致します」
神様とはお天道様のことなので(この場合天気を司る)、神の重複はしない。
朝だけでなく、夜もそのようにして祈った。
言霊があるので、声に出す。言挙(コトアゲ)しないと、たとえ神様であっても心は伝わらないのだ。
祈りが効いたのか、旅行日に近づくにつれ予報の天気は回復していった。
雨だったものが雨後曇りになり、旅行2日前、ついに曇りになった。
きっとお祈りのおかげだ。霊験はあるのだ。
「神様、お天道様、お天気をお恵みくださりありがとうございます。どうかこのまま、天気を保ちまして、ついには晴れをお恵みくださいませ」
このようにして、1週間毎日祈りを捧げた。
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そして旅行当日の、石垣島の天気が、これである。
どうだ。
怪しいだろう。
1時間くらいは晴れていて、海は青く、砂浜は純白に眩しく、山々は青かったのだが、しだいに怪しい空模様になって、海は比例して鈍色になっていった。
現地で何度も祈った。
「神様!お願いします!私は、少なくとも誠実ではありました!なにも悪いことはしていません!お願いします!!」
手を合わせ、柏手を打ち、叩頭して伏した。恋人にも祈りを強要した。心から祈れ、と柏手を打たせた。
「神様!」
「この三日間でいいのです!どうか晴れ間を!」
「毎日祈ったじゃあないですか!」
「ジーザス!」(神の重複)
「おい!!!!」
「こら!!!!!!」
ぽつり、ぽつりと、祈りの甲斐は虚しく雨粒が頬に触れ、冷たく湿った風が首を撫ぜた。
あかん、雨だ。
私たちはビーチから車へ避難し、アイスを食べながら天気の回復を願ったが、雨足は強くなるばかりだった。
気付けば私は、思いつく限りの罵声を神に向けて放っていた。
「祈りなんて無駄なんだ」
「神はおれらを試してる。そして騙してる」
「神を信じるくらいなら嘘を信じる」
「金輪際祈りは捧げない。祈りとは時間の無駄であり、失われた時間は二度と戻らないからだ」
「莫迦」
「クズ」
「腐った魚の内臓」
「価値なし」
「一切の、価値なし」
「人が神を裏切るのではない。神が人を裏切るのだ」
「"裏切り" の枕詞は "神さへも" らしい」
するとどうだろう、悪口がヒートアップするごとに雨足はますます強まり、坂道は洪水のようになっていたし、そこらの畑は沈没し、フロントガラスの視界は数メートル先で消えて、雨が降っているというよりか我々が水の中に突き落とされたかのような記録的豪雨になったのである。
恋人は「あれだけ祈ったのにね」と言って、助手席で腹を抱えて笑っていた(ここ最近でいちばん笑ったらしい)。
彼女が笑ってくれたならよかった。
私はどうやら天気の子らしい。私の情緒と天候はリンクする。
ちなみに、2日目はかなり晴れた(夜に大雨になった)、3日目は終始曇天だった。
いずれ、旅行については詳しく書こうと思う。今日はこの辺で。