1日に5回くらい大きめの虫を見る。
そいつらはだいたい部屋の壁に貼りついていて、顎をかちかち鳴らしながら壁肉を啄ばんでおり、触角をきしきし震わせてこちらを窺っている。
おそらく脚は7本くらいあって、胴体に節目がちな殻があり、今のところ翅は確認できていないが、飛ばないにしても地上を駆動すること脱兎のごとしでもちろん毒もあり、ああ、グレゴール・ザムザのなった毒虫はこれの大きいものだったのだろうとひじょうに納得でき、物語の醜さは深みを増す。増してる場合か。
虫というより蟲、そんな迫真がある。
そんな毒蟲を、一日に5回は目撃する。
たまに道とか吊り革にもいるので、注意が必要だ。
やつらは一瞬で姿を消し、次に見たときにはどこにもいない。物の影や壁のシミになっている。最初からそこにいたかのように、どこにもいない。
そう、蟲は私の幻覚だ。
急にヤバイ蟲の話を始めたと思っただろう?
本当にヤバいのは書いている私だ。驚いたか?
先ほども猫の抜け毛の塊を蟲と空目して「あぁぅをっ!ほほ!」と跳びあがってしまった。情けない話である。
夜道で風に揺れている枯葉は空目しやすく、何度も何度も騙されている。
何度騙されているにも関わらず、毎回「やばい、毒蟲がいる」と身構えてしまうし、突然出てくるとちゃんと驚ける。
心の底から、というよりも、脳が明確に幻覚を真実と捉えていて、一瞬の間だけ、たしかに毒蟲は存在し、脅威をもたらすのだ。
一瞬の間だけ、毒蟲はこの世界に存在する。この世界の片隅に。
道に素早く蠢く毒蟲がいるとおもって卒倒しかけたが、よく見たらゴキブリだったこともある。
なんだゴキブリか、春だな、と趣すら感じ、日和(ひより)にほのぼのしてしまった。
ゴキブリが趣になるほど、毒蟲は私にとっての脅威、天敵なのだ。
壁に投影された物の影が毒蟲に豹変することが特に多い。
毎度毎度、一日5回、律義に身構えてしまうのだが、なんだ影かとわかっても、数度数度目の端にうつるその影が毒蟲に見えてしまい、刹那に背を寒くする。
わかっていてもそうなる。
もはや毒蟲は私の心に棲みついているらしく、私の世界にとってリアルな存在になっている。
昔は、それこそ高校生とか十代の頃はこんなことなかったのだが、なぜだろう?
これから先の人生、毒蟲は増え続けるのだろうか?
幻の相手なので殺虫もできず、かと言って錯覚しないこともできない。意識的にできないことだ。
闇、なのだろうか。心の。
なにかの前兆なのだろうか?
普通に怖くなってきた。やめようこの話は。
毒蟲と仲良くやっていく方向で人生を進めていくことにする。