実家に久しぶりに帰るたびに、母の存在のありがたさに手を合わせたくなる。
って、なんか母という存在を、家事をやってくれるおばさんと認識しているから感謝しているのではなくて、母の家事は家事代行サービスではなく、ひとつひとつに私への気遣いがあって、そこには見えにくいけれど無償の愛があることが、この齢になってよくわかるようになって、なんだか存在そのものがありがたいものだと合掌したくなるのだ。
まだ死んじゃいないけど。
実家を出て行ったころの私は、この気遣いみたいなものが単に口うるさいおばさんの小言のように聞こえて、母の脂肪のついた丸い背中を目にするだけで毎日苛立った。
出かけようとするたびに、ハンカチを持ったか、マスクを持ったか、腕時計ははめなくていいのか、靴を磨いてないでどうするのか、とうるさかった。
ほんとうにうるさくて、「うるせー!」と突飛ばせちまえば、と何度思ったことか。私はもっとタチが悪くて、母の言葉を無視して聞こえないように舌打ちをし、玄関のドアを強く閉めて外へ出ていくだけの惡だった。
ただそれだけのことが気に入らなくて、夕飯はいるのか、という母からのLINEを無視して、外食して帰った夜もある。
夜遅く帰宅すると、ラップのかかった大皿のおかずがダイニングランプの豆電球の下で私の帰りを待っていて、そういうところが本当に嫌いだった。
今なら違う。
あの頃私は、とてもとてもガキで、なんだか書いているうちにあの頃の自分を殴りたくなってきた、とってもガキで、恥ずかしながらずっとずっと反抗期で、しかもシンプルに暴力をふるったり母に向き合って喚き散らすのではなく、母の存在を自分の中から消すようにして静かに舌打ちをするだけの、自分をも愛せない反抗期のガキだったのだ。
私は家を出て独り暮らしを始めた。
家事は大変なんだとようやくわかった。
洗濯物は重くて面倒だし、料理なんて毎日やってられないし、掃除はする気も起きなくて、とどのつまり丁寧な家事というものは自分を愛するように、あるいは大切な人を労わる気持ちが無いとできないものかもしれないとわかった。
母は、すごかった。
毎日毎日、休みなく。
どうして私は、なにも手伝ってやらなかったのだろう。
一身に降り注ぐ愛を拒否していたつもりだった反抗期の私はもうそこにはいなかった。
拒否していたんじゃない。気付いていなかった、まぬけだったんじゃないか。
久しぶりに実家に帰ると、母のありがたさを思い知る。
いつになく私は家事を手伝い、すると母は「座ってていいから」なんて言うけど、私は皿を拭きたくてたまらなくなる。
それならあとで肩でも揉んでよなんて言う。
結局座らされて、お菓子でも食べてな、ってカントリーマアムが出される。私が小さいころから大好きなお菓子を、母は今でも忘れずに出してくれる。今はもうそこまで好きでも無いのだけどなぁ。
だけど反抗期の終わった私は、カントリーマアムをありがたく開ける。
母の肩を揉むと、いつの間にか脂肪が薄くなって、なんだか体が小さくなった気がした。そう言うと母は「痩せた痩せた」と嬉しそうに笑うけど、私はなんだか笑えなくて、肩を揉む手の力を少しやわらかくした。掌に触れるのは、筋肉よりも骨の感触だった。
次に帰ったとき、母はもっと小さくなっているだろうか?……
カントリーマアムも年々サイズが小さくなっている。
母のように。
もしかしたら、カントリーマアムが小さくなっていくのは、実家の母が小さくなっていくことをリアルに再現しているのかもしれないな。
この侘しさを如実に再現しているのかもしれないな。あえて小さくなっていくことで。
調べてみたら、どうやら本当にそうらしい。
(温めるとなお美味しい)
という、カントリーマアムが小さくなっていく理由の、ウソみたいな本当の嘘の話。