蟻は今日も迷路を作って

真面目な話からそうでない話まで。本当の話から嘘の話まで。蟻迷路(ありめいろ)という人が書いてます。

豊かさのための家事

に同棲している話をすると「家事するの?」「料理するの?」などと訊かれる。

「する」と答えると、えらいね、と言われる。

恋人も会社で訊かれるらしい。とくに私、つまり彼氏が料理をするのかとか掃除をするのかとか。

恋人は「する」と答える。

すると口を揃えて「えらいね」とか「立派な彼氏だね」と言うらしい。

 

そうだろうか?

 

えらいのは私だけではなく、二人ともだ。

生活を成り立たせるために、お互いに協力して料理をしたり、片付けをしたり、休日は二人で分担して掃除をし、私が洗濯物を干して恋人が畳み、私がアイロンをかけるのだ。

家事は女がやる仕事、という時代は終わっている。とっくに。

どちらかが専業主ふだったら話は別だけど、お互いに働いているし、家事は大変なんだから同じくらいに分担してやるべきだし、できるほうが率先して動けばいい。

今の時代、上の世代はともかく、私たちの世代ならこんなの当たり前ではないだろうか。しらんけど。

 

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家事は楽しいものではないけれど、苦しいものでもない。面倒くさくはあるけれど、それに見合った見返りのある仕事だ。

こういうことが言えるのも、家事を強制されているわけではなく、分担して二人で生活を成り立たせているから言えることなのだろう。

私は恋人のために部屋に掃除機をかけるし、風呂を掃除するし、料理をして片付けをする。

粗末だけど食事を作り、小さなシーリングライトの下でひっそりと食卓を囲み、「うまくできたね」とか「つぎはもう少し薄味にしよう」とか言ってお腹いっぱいになることが豊かさだと知っている。

ぴかぴかのお風呂に入ることは気持ちがいいし、キッチンがいつも片付いていると次に何を料理しようか考えたくなる。包丁を研ぎ、冷蔵庫の中身をチェックする。

私たちは二人のための「豊かさ」のために、家事をするのだ。

そしてその豊かさは、家事の分担によって成立している、とおもう。

ときどきここが地球の片隅だとおもうし、世界の中心だともおもえる。

 

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独り暮らしをしていたころ、私は家事をまったくやっていなかった。

洗濯物はシワまみれで、部屋にはホコリが飛び、流しは汚れが堆積して土のようになっていた。

料理もほとんどやらなかった。月に一回、きまぐれに作ったくらいで、あとは冷凍食品や出来合いのもので済ませていた。

自分一人のために家事をこなすモチベーションがまったくなくて、どうにでもなれとおもっていたし、実際にどうにかなっていた。

今は恋人がいるから、それがモチベーションで家事をする。

二人のために家事をする。

そしてそれが豊かさであることを知ることができてよかったとおもう。

最近は私の帰りが遅くて夕食をほとんど恋人に任せきりだったので、今日(文化の日)はこれを書き終わったら私が食事を作ろうとおもう。さっき土鍋を買ってきたので、鍋にする。