ゴミを出しに外へ出ると、風が冷たく気持ちが良かった。陽にはまだ夏の名残があるけれど、空気の澄み方がすっかり秋だった。もう9月も終わりへ向かっている。
気分が良かったのでそのまま散歩へ繰り出した。
祝日の朝はゆるやかに時間が流れて、道を掃除する人も犬を散歩させる人も私のようにあてもなく歩く人も、その時間そのものを楽しんでいるように見える。
なにもしない時間を楽しむ、ということがある。雲を眺めたり、空を横切る飛行機を見つめたり、街を見下ろして営みを観察するともなく目で追う。それはただ時間が過ぎていくのを楽しむ、ということがある。
それに似た時間が流れていた。
お気に入りの住宅へ向かった。
こう書くとなんか不審者っぽいけど、実際にちょっと不審者なのだと思う。自覚しているだけマシな部類だと自分では思っているので問題ない認識だ。
お気に入りの住宅は少し路地を入ったところにある。
その家はとても小さい。小さいというか、細い。横幅2メートルくらいしかなく、家々の隙間に歯の詰め物のようにすっぽりおさまって陽の光もあたっていない。
宅地計画を立てるときに、ここらの家々をすこしずつズラしていけば一棟くらいなんとか建てれそうじゃないですか?秘密基地的な感じで、ってノリで建てたようにも見えるし、車一台を停めるにはちょっと大きめの駐車場があったんだけどうちはもう車使わないから家建てて貸しちゃえそのほうが金になるし、ってあまり人の心のない土地主が無理矢理建てたようでもある。
とにかく細いのだ。Wiiの筐体が建っているのかと思ったほどだ。
よその家をしげしげ見つめるわけにはいかないので、右往左往して横目に何度も見る。
驚くべきことに自転車が4台あったので、4人で住んでいるらしい。新たな発見に喜び、私は誰かに通報される前にその場を後にした。
ちかくの公園に行き、池を眺めた。
桟橋まで行くと鯉が群れて口をパクパクしてエサをねだった。鯉に混じって苔の生えた亀も口を開いていた。
あまり来ない公園なので、池の存在も知っていたがこうして眺めるのは引っ越してきてから初めてだ。
意外と水は澄んでいて、音もなく豊かに水が湧いており、アメンボやメダカやフナみたいな魚がそこかしこを自在に泳いでいる。水草も豊かで、その日陰に魚たちが戯れている。
風がそよいで水面に波が立つ。私の背後でいかついカメラを提げたおじいさん二人がシャッターを切る。
「ああ、だめだ」
「こりゃいかんかもな」
ファインダーの向き先を私も追ってみたが、その先には水面と木の杭しかない。
いったい何を撮っているのだろうか。なにがだめだったのだろうか。
バードウォッチング、なのだろうか。
「あっち回ってみますか」
「そうしましょう」そう言うとおじいさんたちは私とは反対回りに行ってしまった。
池を見ながら、ほとりに咲く芙蓉の花やすすきを楽しみながら、ゆっくり池を回った。開けた場所では太極拳を演じる人や、ポメラニアンを遊ばせる人、小さい子どもを歩かせるお父さんがいて、それぞれの時間を生きていた。祝日はこうあるべき、そんな光景が広がっている。
池を半周したところで先ほどのおじいさんたちとまた会った。やはりカメラを池に向けていた。
「だめですね」
「今日はもう……」
やはりだめらしい。水面にはなにもいない。なにもいないからダメなのだろうか。それならなぜカメラを向けているのだろう。私の知りえない世界を覗いているのかもしれない。
不気味なので公園を後にし、そのまま帰宅した。