蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

米だけでご飯3杯はいける!

人の実家からお米をいただいた。

これが美味しくて、この時初めて、米にも味の違いが明確にあることを知った。

 

 

同棲をはじめて最初に買った米は、近所のスーパーで一番安かった米だ。

「最初からいい米を食べると、精神が廃る。

戦時中を思い出して御覧なね。銀シャリがどれだけ高価な食べ物だったことか。あの頃は、真っ白のお米だけで炊くことはできなかったんだよ。玄米や粟やお芋と炊くなどしていたんだ。だからこそ、まっさらの銀シャリが美しく、美味しく感じられたんだね。

それと同じことよ。最初から贅沢をしちゃいけません。最初に最低の味を知っておくことで、次にそこまで高くはないけどワンランク上の米を食べたときに、ありがたく美味しく感じられるわけ。

最初からいい米を食べていると、次にもしお金が無くて最底辺の米を食べたときに、これほど屈辱的なことはないだろうよ。

下から上には行けても、上から下には人間いけないもんだ。覚えておきなさい。

だから我々は、まずはじめに、最底辺の米を買うのだよ」私は最初のスーパーでそう言った。

「わかった」と彼女は言った。あまり納得していないようだった。「ひとつ言いたいんだけど」

「なに?」

「もう戦時中じゃないよ」

「喩えですよ」

まぁ実際このような会話があったわけではないが、このような旨の話をしたことは間違いない。

 

そして私は、最底辺の米を買ったことをひどく後悔した。

どこがどう悪いのか言葉にしにくいのだが、全体的に張りも締りもなく、半分死んでいるようなかんじで、なんとなくホコリ臭いし、つややかさが皆無で、米界の砂利、と言ってしまいたい。

その米を食べることになんの喜びもなかったが、ただ食べないと次の米を買えないので食べるしかなかった。

 

だが、一週間もすればその米にも馴れて、それが普通になっていった。

 

1カ月半ほどでようやく食べつくした頃に、恋人の実家が、親戚の方で採れたお米を精米してくれて10キロほど送ってくださった。たいへんに助かった。

この頃は最底辺の米に馴れていたので、「米はどれもそう変わらん」などと思っていたのだが、贈り物の米を食べたとき、「米は全然違う」とわかった。言葉ではなく、体で、舌で、それを理解した。

米はつややかで粒立ちがあって、食べる喜びがある。

ついつい、米ばかり食べてしまう。

米をおかずに米が喰える。米界の水晶。

 

米はランクによって全然違うのだ。

もしかして最底辺の米が不味いのは、炊飯器のせいではないかと疑っていたが、確信をもってそうではないと言える。米のランクによって味が違う。

 

つい食べ過ぎてしまった。米だけでお茶碗3杯食べた。何を言っているんだ。