蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

加湿の季節がやって来た

燥は敵だ。

肌が荒れるし、目が乾くし、喉も痛くなるし、それにつれてだんだん心が荒んでくる。

部屋干しはよく乾くようになるけど、それ以外に良いことはひとつも無い。

だから人間は加湿器を焚く。

知恵なのだ。

 

我が家でも乾燥が牙を剥きはじめている。

寝起きはかならず喉が痛いし、頬や目がパリパリに乾いて老人になったような気分になる。そうして心まで老いて、なににも感動しなくなり、ひたすら死を待つだけになっていく。

とくに女性の方が乾燥には弱いのだろうか、恋人の手はかさかさと音がするほどなので、ハンドクリームを塗っている。このハンドクリームというやつは良いにおいがするので、つい舐めたくなるけど、おそらく体に悪いので、舐めるのをぐっと堪えている。

そのような状況なので(私がいつ恋人のハンドクリームを食べてもおかしくないので)我が家でも加湿器を導入せねばならないとはおもっている。

おもってはいるが。

結局買わずに、濡れタオルをエアコンの前にぶら下げることで対応している。

 

はたしてこれで効果があるのかはわからない。

加湿器にしてもそうだが、加湿したところで「おっ、潤ってきたな」とふとした時に気付くものではない。急に熱帯雨林にでもなったら気付くだろうけど、急に熱帯雨林になるわけがない。

湿度計ももちろん無いので、可視的にも、「加湿されつつある」と実感することができない。

だが、エアコンの前にぶら下げたタオルを2時間後くらいに触るとカピカピに乾いているので、なんらかの加湿的行為が為されたことは疑いない。大量に含まれていたはずのタオルの水分は、部屋のどこかに消えたのだ。そうでなければカピカピに乾くはずがないのだ。

カピカピのタオルに触れてようやく、「たしかに潤ってきたかもしれない」とおもえる。言われてみれば心が若返ったような気がする。おっぱいが飲みたくなってきた。

我が家の加湿には多少のプラシーボ効果が必要なのだ。思い込み加湿。気は心です。

 

このようにして縋りつくような加湿をしているので、加湿できそうなタイミングがあったら逃さないようにしている。

たとえば風呂終りに窓を開けずにドアをあけ放つことで湯気が部屋に流れるよう促す。

コップに水を入れて置いておく。

はねこぼした水を拭かない。流しの水滴をそのままにしておくなど。

シンクの掃除は面倒なので、水滴やこぼしを「加湿」の名目のもと放っておく。どうせ朝には乾いて跡形もないのだ。拭かない方がいいだろう。一石二鳥。大義名分。いやぁ、加湿万歳だね。はははははは。

と、やっていたら、恋人に「ちゃんと拭きなさい」と強めに言われた。

私は「いや、ごめん忘れてたよ。はは。過失さ」としかせいぜい言い返せなかった。