私には夢がある。
もしもいつか自分に子どもができたら、節分を楽しみたいのだ。
のり巻きを作って、恵方を向いて食べさせ(もちろん写真に収める)、スープを飲ませ、豆を年の数だけ食べさせる。
きっと5歳くらいだから、5粒しか食べないのだろうな。
かわいいなぁ。
でも節分の豆って、はっきり言って、ね、まぁ、特別好意をもって受け入れられるほど美味しくはないですよね。娯楽の無かった戦後すぐだったらこの豆も大切な食糧で、特別なごちそうだったのかもしれないですけど。もう戦後ではありませんから(まだ戦後日本であるという説も一部ではある)。
だから子供も「もっと食べたい」とせがむことなく、平和的に豆食いタイムは終わるのだろうな。
私の子どもだからちょっと頭が抜けてて、ケーキとかチキンとか食べれるものと勘違いしてそう。
かわいいなぁ。
ブンッ
突然、暗くなる視界。
停電?
廊下の先の玄関のドアノブがガチャガチャ動いてる。ノックもインターホンも押さず、たとえるならそれは鍵が開かないのを苛立っているような音だ。ガチャガチャガチャと。ガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャ。
iPhoneのライトで玄関を照らす。外にいる誰かは私たちの気配に気づいたのか、ドアノブを捻るのをやめる。
電話が鳴る。非通知着信だ。訝しくも、電話に出る。
「はい」
『アケロ』
「はい?」
『アケロ』
「開けませんけど。鬼ですか?」
『鬼ダ』
「じゃあ猶更開けませんよ」
『ワカッタ。ジリキデ アケル ダケダ』
かちゃり。と冷たい音がして鍵が90度右に回る。ドアチェーンがなぜかすとんと下に落ちて、ドアノブがゆっくり回り、静かに扉が開く。
「豆、かまえて」
子どもはたぶんこの時点で失禁してるだろうな。豆構えてる場合じゃないかもしれない。妻にも内緒でこのイベントをやるので、妻も失神しているかもしれない。
鬼は、鬼と言うにはあまりにも貧弱な細い身体をしていて、わずかに角のようなものが見える以外には鬼らしき要素は無いのだけど、左手に握った出刃に狂気がにじみ出ていて、それだけで間違いなくコイツが鬼だってわかる。
「鬼は外!!!!!!!」
────────こういうのをやりたい。
うざいかな。
子どもをビビらせまくって楽しみたい……。
子どもは大人のおもちゃじゃないってわかってるけどさ、「鬼」の恐怖を思いきり植え付けたいんだよな。
私も小さいころに鬼の恐怖を植え付けられたし。
鬼滅の刃じゃないけど、鬼にだってそれぞれに事情があって、怪獣みたいに思いきり叫んだり海を見たいと思ったり、人を愛したいと泣くかもしれない。
だから最終的には襲撃してきた鬼と仲良くなって、豆を5粒だけ食べてほしいんだよな、我が子。
今週のお題「鬼」