タイムスリップするなら10年前くらいじゃ未来を変えようがなさそうなので、せめて中学校の入学式くらいまでさかのぼる必要がある。
できれば今の知能を保ったまま中学生に戻りたい。
そうして堅実に勉強して、へんなことしないで爽やかに暮らそう。
で、あのときのあの失敗を避けるために、あの日にちゃんとこの処置をしておいて、そうだ、告白されたときにあんなことを言わずにもう少しやわらかい言葉に変えて……できればあの子に気持ちを伝えて……そうだ楽器をはじめて……
などと考えることが好きで、いつタイムスリップしてもいいようにイメージトレーニングは欠かさないのだが、よく考えないまでも、タイムスリップなどといったことはフィクションの世界で実際の人物・団体・出来事とは一切関係ないらしい。
そんな当然のことまで頭が回らなくなるほど、過去にとらわれてしまっている。
私はなにかをやり直したい。
なにかはわからない。
現在の生活を愛しているし、充分恵まれているとは思う。
ただ、人生におけるいくつかの分岐と選択で別の方を選んでいたらどうなっていたのだろうか、それを知りたいのだ。
そして、いくつかの過去をやり直したいのだ。自分のウィークポイントを過去の時点で解消しておきたいのだ。
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『ジョジョの奇妙な冒険』第5部のラスボス「ディアボロ」は自身の過去をすべて抹消し、不明の人物として裏社会を牛耳っている。
抹消は徹底していて、自分のことを少しでも探ろうものならどこまでも追い詰めて確実に相手の息の根を止め、それに関わろうとした組員までも陥れ、果ては我が子までもこの世から消そうとする。
なぜか?
ディアボロは言う。
「恐怖とは、まさしく過去からやってくる」
弱き過去が現在の自分を脅かす。それに怯えている。
過去を受け止めず未来に起こる「結果」のみを享受し、自分の弱さ(過去)から目を背け続けるラスボス。こう書くとラスボスのわりに矮小な感じがするが、誰もが抱いている「過去の失敗」という恐怖をラスボスも持っているというのがなんか人間臭くて好きだ。
結局は過去を拒絶する徹底ぶりこそが人間としての精神の弱さとなっていて、その弱さを主人公たちに突かれることになる。
※でもちょっと弁解しておくと、ディアボロは最終決戦で主人公たちの前に姿を現したとき、「これは『試練』だ 過去に打ち勝てという『試練』とオレは受けとった 人の成長は……………未熟な過去に打ち勝つことだとな…」って言って登場するんですよ。過去に打ち勝とうとして姿を現すんです。めちゃくちゃ格好良い……
ディアボロの言うように、過去は脅威だ。
素晴らしい業績の人が、過去のちょっとした過ちを掘り返されて失脚するニュースを年に何回も目にする。
私が自身のちょっとした過ちの数々に今頃悩んだり吐き気を催しているのなんて、大した問題ではないのかもしれないけれど、自分の中の「過去」がときどき牙を剥いて私を責め立てる。
いつまで固執して悩んでいるのだ、と思う。
忘れて、とぼけたほうが楽だと思う。悩む反動で逆説的に実際そうしてきた。
だけどそれって、ディアボロの弱さ、卑怯さと変わりない。
過去を受け入れていない。もう変えられないなら諦めて忘れようとしている。
過去を切り捨てていくと冷たい人間となり、そのうち現在の関わりのある人たちをも蔑ろにしていくことになる。ゆくゆくは自分自身さえも。
たしかに過去は変えられないけれど、現在の行いによって過ちを再発させない、気を付けることはできるだろう。
過去を受け止める強さが現在の行いを変え(気を付けていく)未来の自分を愛していくことに繋がると信じている。
そのために私のような弱い人間は過去を振り返らなければならないのだ。
タイムマシーンにお願いしている場合じゃない。私が生きているのは現在で、生きていくのは未来なのだから。