会社の倉庫で段ボールを憤怒に任せて解体していたら、サッと指を切ってしまった。
小指の関節の隙間からじわりと血が滲んだ。赤が広がる速度よりもさらにゆるやかに、痛みがじんわりと、小さく開いていく。あらゆる痛みの中で、紙で切ってしまったときの痛みほど無機質なものもない。
おれは、マカロニ屋さんになりたい、とおもった。
ぽっかり口を開けたつるりとしたマカロニとか、じぐざぐの表面した尖ってるマカロニとか、星やお魚や花や貝殻のかたちをしたマカロニやニョッキやファルファッレやペンネを小瓶に詰めて、売りたい。
ほうれん草の練り込まれた緑のやつとか、ニンジンを練り込んだオレンジ色のやつや、トウガラシを砕いた欠片が点々と入っているものとか、カラフルなのものも売ってる。
早朝から仕込みははじまる。
機械に小麦粉を入れて成型するものもあるし、私が麺棒で伸ばして練り上げるものもある。いずれにせよ、私がイタリアで知り、長野と香川で仕入れた小麦粉や蕎麦粉やじゃがいもを丁寧に練り、ユニークなかたちに仕上げなければならない。
子どもたちからマカロニの穴はどうやって開けるのかよく聞かれるけど、それはマカロニ屋だけが知ることのできるものなのだと誤魔化している。大切なのは、マカロニの穴に思いを馳せる豊かな時間なのだ。要するに、穴が先にあるのか、穴の周りが先にあるのか、という命題に他ならない。
乾燥させ、一部は小瓶に入れ、一部は袋に詰めて地元の料理屋に卸し、一部は店頭で量り売りにする。自宅から小瓶を持ってきてくれればつめてあげるし、店頭でささやかな瓶を売っているので手ぶらで来たっていい。瓶なんてなくたっていい。ビニール袋でも、その両手でも、差し出してくれれば量り売りする。
もちろん、マカロニ屋が盛況なわけがない。
マカロニにみたいに見通しの良い仕事ではないのだ。雨が降ったらマカロニはふやけるし、晩夏は客足が遠のくだろう。木枯らしもマカロニにはよくない。海風は好きなのに。
だからイートインも併設していて、店の奥にカウンター席があって、自家製のマカロニを使った料理を出している。少ないけどアルコールやソフトドリンクもある。
チーズクリームソース、トマトスープ、きのこのグラタン、サラダ、そのどれもで執念深いマカロニがこちらを見ている。でも怖がらないでいただきたい。美味しいだけなのだから。
私はマカロニ屋になりたい。
マカロニ屋になって、雨を眺めたり、砂埃にくしゃみをしたり、控えめだけれど気持ちの良い笑顔で接客をしたい。
こういうことを考えながら仕事をしていると時間は早く過ぎ去るし、指の痛みも忘れることができる。