蟻は今日も迷路を作って

真面目な話からそうでない話まで。本当の話から嘘の話まで。蟻迷路(ありめいろ)という人が書いてます。

おれ 、ちいかわ かもしれん

すうす思っていたのだが、おれは「ちいかわ」かもしれない。

 

 

「ちいかわ」とはクリエイターのナガノさんによりTwitterで連載されている漫画である。

 なんか小さくてかわいいだけの存在「ちいかわ」がお友だちの「ハチワレちゃん」や「ウサギ」と共にちょっぴり不思議な世界で過ごす現実的な日常のお話。

 

 

 基本的にどこから読んでも面白い。

Twitterだから遡れるし、書籍も出版されているのでぜひ読んでほしい。たぶんいまTwitterでいちばん面白いコンテンツが「ちいかわ」だ。

 

ちいかわのなにが面白いのか、なんだか言語化が難しい部分があって、もちろん可愛いのが一番なんだけど、ちいかわたちは結構ひどい目に遭うことが多く、展開にハラハラさせられて、そのギャップが面白いというか、おかしいというか、滑稽な中にある不穏さがクセになる。

基本的に優しい世界で、優しいことはわかっているのだけど、時に残虐性を帯びた世界が示唆されるような描写があり、もしかしたら ちいかわたちの世界はユートピアではなくディストピアなんじゃないかと疑念を抱く。

 

 

 このツイートのように、ふつうに殺戮をはたらく怪物が登場し、ちいかわたちを脅かす。

怪物は恐いので「討伐」というお仕事がこの世界にはあり、単発のアルバイト感覚でキャラたちは武器を携え森へ入る。マジでなんなんだ。

 

「魅力はこのギャップ。可愛いキャラと不穏な世界!」

そう一言で言ってしまえばそうなんだけど、そう一言で言ってしまうと陳腐になる危うさがある。

魅力の根本はそこではないんじゃないか。ギャップの一言で片づけて良い作品ではないと思うのだ。

 

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最近、自分はちいかわの世界の住人なんじゃないか、と思っている。

 

ちいかわの世界は優しく甘く可愛い世界なのだけど、実際生活をするとなると「労働」をせねばならないという、現実的な側面がある。

 

 

 私も「労働」をしているという点では ちいかわと同じだ。

ちいかわの世界の労働は「草むしり」や「討伐(または"大きい討伐")」や「シール貼り」といった種類の労働で、私のやっている事務仕事や電話対応とは異なるが、「労働」というキツイものをやらざるをえない、その点では私と ちいかわに違いはないのであって、なんかここにシンパシーを感じる。

「仕事をやらざるを得ない」かんじが、とても私たちだと思う。

 

 

ちいかわたちは決して恵まれた環境にない。「最悪の事態」を避けることはあっても必ずハッピーエンドになるわけではなくて、むしろアンラッキーな脅威にさらされることもあるのだ。

上のツイートのように転んで寿司をぐちゃぐちゃにしたりもする。真に優しい世界だったらこんな演出はいらないのだ。

こういう失敗の質感がとても私たちの生活の次元に近くて、「あるある」の解像度が高い。

 

 

ハチワレちゃんがお腹を壊すこの話の、薬を飲んで横になってたらちょっと良くなってきて、風がそよそよ頬を撫でる昼過ぎの感じ、ちょっと眠くなってきたときの心地よさ、その描写力すごいと思いませんか。「現実でもある」解像度の高さと「あるある」のレベルの高さ……こういった細かいあるあるの積み重ねが ちいかわ世界と私たちの世界の次元を繋いでいる。

 

 

この勉強してるときのかんじ、たまらない。

間違えまくって嫌になって「あーあーあ!!」ってなってぞんざいにノート閉じてぼーっと天井見て諦めたりするけど、ふとどうしてこの資格を取りたいのか思い出して、もうちょっとやってみるか、と気を取り直したりする。

 

 

お友だちとすこし微妙な空気になってしまって、どちらも悪くないのにかける言葉が見つからず、謝るでもなく励ますでもなくどうしたらいいかわらかないときの、脳裏によぎる自分の行動の後悔とか、食事が胸につっかえる感じとか。

 

ある。

こういうの、ある。

 

ちいかわたちの世界はたしかに私たちの暮らしている世界とは異なるのだけど、住んでる世界が違うだけで生活の次元は同じだ。

嫌な労働があり、資格が必要だったり、腹も壊すし、脅威が街をうろついている。楽しいことばかりではなく、むしろ憂鬱なことが多い。

そのシンパシーが作品と現実の懸け橋となって次元を揃えている。

 

 

もしかして私も ちいかわみたいなものなんじゃないか。

労働の種類が違うだけで、たとえば私のやっていることを ちいかわ作品に「翻訳」したら、草むしりしたりシール貼ってるみたいなもんなんじゃないか。

高度な「あるある」によって次元を揃えられた結果、ちいかわたちに深い共感性を抱き、それがいつしか逆流して現実に流れ込んで、自分がちいかわである、という認識を生んだ。

 

 

ちいかわの世界は、しかしながら、嫌なことばかりではない。基本的には優しく、楽しい世界だ。

ここで、次元の揃いによって、ちいかわの世界の幸せが私の現実にも流れ込んでくる。

ああ、そうか。おれの日常のほんの些細な幸せだって、ちいかわの世界に「翻訳」すれば、巨大なゼリーを食べたり無限に米が湧く炊飯器を見つけたときの幸せに等しいのかもしれないな、と。

夜中に行くコンビニだって、ちいかわにしたら特別な幸せかもしれない。

そういえば私も幼いころ、夜中にコンビニに行ける大人がなんだか羨ましかったっけ……。

 

私の日常は見方を変えれば誰かにとって特別な幸せが詰まっているんだ。

 

それってもう、おれ、ちいかわじゃん。

おれ、ちいかわだったんだ。ここが現実ってだけで、やってることはほぼ ちいかわなんだ。

私は ちいかわのおかげで、些細だけどかけがえのない日常の小さな幸せに気付けた。

 

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完璧に悟りを開いた私は自分を ちいかわだと思うことにした。思うことにした、というか、己が ちいかわなのだから思うも何もない。ちいかわなのだ。自分を人間だと思って暮らしている人間がいるか?そういうことだ。

 

「ワァ・・・・・・」と放心してから泣いてみたり、「イヤ!」と半泣きで首を振ってみたりする。

いい感じだ。

恋人に皿を洗って、と頼まれて、鋭意ブログ執筆中の私はこのときも「イヤ!・・・イヤ!!」と首を振った。「ワ……」「泣いちゃった」などと独りで芝居を打つ。私は ちいかわなのだ。

「は?キモ」恋人はこちらを見もせず、笑いもせず、冷たく言い放った。

 

ちいかわに「キモ」なんて冷たい言葉は出てきていない。

 

「はい」と言って立ち上がり、耳の奥に残った「キモ」の響きに頭を冷やした。

私はスポンジを何度も何度も揉んで、これでもかと泡立てた。

皿洗い検定5級、などと思いながら。そんなものこの世には無いと知りながら。